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2016年3月29日 (火)

継体天皇の謎(その20)

継体天皇の謎(その20)

第2章 わが国と朝鮮半島との繋がりの歴史について(13)
第2節 古代朝鮮の歴史について(概論)(9)
4、加羅と倭人(4)

(8)任那日本府(みまなにほんふ)

任那日本府(みまなにほんふ)は、倭(古代日本)が朝鮮半島南部に設置した統治機関として日本書紀に言及されているものであるが、学説としては定まっていない。
しかし、少なくとも、下記に列挙される史実を根拠として、倭国と関連を持つ何らかの集団(倭国から派遣された官吏や軍人、大和王権に臣従した在地豪族、あるいは倭系百済官僚、等々)が一定の軍事的・経済的影響力を有していたと見られている。

1、『日本書紀』をはじめ、中国や朝鮮の史書でも朝鮮半島への倭国の進出を示す    
   史料が存在する。
2、『広開土王碑』に倭が新羅や百済を臣民としたと記されているなど、朝鮮半島での倭の活動が記録されている。
3、新羅、百済、加羅の勢力圏内で日本産のヒスイ製勾玉が大量に出土(高句麗の旧領では稀)しているが、朝鮮半島には勾玉に使われるヒスイ(硬玉)の産地はなく、東アジア全体でも日本の糸魚川周辺とミャンマーしか産地がないことに加えて、最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明している。
4、幾多の日本列島独特の墓制である前方後円墳が朝鮮半島の全羅南道で発見されているが、この地は任那四県とよばれる広義の任那の一部である。
5、宋書倭国伝のなかで451年、宋朝の文帝が、倭王済(允恭天皇に比定される)に対し、「使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」の号を授けたという記述がある。さらに、478年宋朝の順帝が倭王武(雄略天皇に比定される)に「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」の号を授けたと記述している。

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