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2016年3月22日 (火)

老子(その26)

老子(その26)

老子とプラトンとの繋がり(12)
ニーチェとブラトン(3)

アポロン的な力とディオニュソス的な力の統一がパラドックス論理によってなされなければならない。ニーチェはキリスト教的価値を否定したが、現実はキリスト教価値が蔓延している。ニーチェは合理の人であるので、前者は合理。現実は「ましな人間」がキリスト教的価値にしたがって生きている。したがって、後者は非合理である。そのような合理と非合理については、パラドックス論理によって統一されなければならないが、それはハイデッガーやホワイトヘッドまで待たなければならない。

アポロン的なものとディオニソス的なもの、すなわち理性と本能、秩序と無秩序の統一をハイデッガーやホワイトヘッドが成し遂げた訳ではない。人間が人間らしく生きるためには、本能を否定してはならず、それも大事にしなければならない。ニーチェはそのことを十分意識していたが、ハイデッガーやホワイトヘッドはそのことを十分意識していなかったようである。ハイデッガーやホワイトヘッドはニーチェが死んだと言ったキリストの神を復活させることに専ら意を注いだのであろう。プラトンの重大関心事はエロスであり、 そのエロスに関する哲学では、アポロン的なものとディオニソス的なものは峻別されていて、その矛盾(パラドックス)は統一されていた。プラトンは、禅僧のような言い方、すなわち両刀截断した言い方をディオティマをして言わしめている。アポロン的なものとディオニソス的なもの、すなわち理性と本能を峻別しているという点で、ニーチェとプラトンは共通点がある。


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