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2016年1月10日 (日)

老子(その11)

老子(その11)
老子哲学の哲学としての一大特徴(2)

中国には功過思想と呼ばれる考え方がある。それは大まかに言えば、天は人間の「行為」を逐一監視していて、善い行いには賞を、悪い行いには罰をその「報 い」として与えるというものである。このような思想は古くから存在し、晋代に記された「抱朴子(ほうぼくし)」という書物においてその基礎を完成させて以来、道教の倫理部門の中心となって、長い間中国人の心理面に大きく影響を与えてきた。「抱朴子」という書物を著したのは、東晋の葛洪(かつこう、283~363)という人物である。彼は若いころから神仙思想にも興味をもちはじめ、鄭隠に師事した。鄭隠の師である葛玄と葛洪の祖父は、いとこ同士である。よって、洪が若くして神仙思想に興味をもったのも、その家庭環境の影響であると考えられている。
書経や墨子にみられる功過思想は、主として「周王朝」や「墨子」などが行為者である民衆を統制する目的で説いたものであり、民衆にとって「行為」の実践には義務的な意識が常にあったということができるだろう。しかし個人主義の萌芽によって、民衆も自身の「行為」に対して、はっきり とした目的を持つようになる。それがあらわれ始めるのが、初期道教教団にみられる功過思想である。これらの教団が功過思想を説いたのには信者を統制する目的があったのも事実であり、信者たちは罪の意識のため「行為」に対して義務的な意識を持っていたであろうが、それと同時に彼らは長生という、 非常に個人的な目的のために善い「行為」をしていた。そして「抱朴子」になると、その傾向はますます強まる。ここでの功過思想は道士の立場から説いたもの であり、彼らは延年或いは不老不死という、専ら自分自身の利益追求のために善い「行為」を行った。後世の驚くべき影響力を持った民衆的な道教思想はこのようにして生み出された。 よって無意識的にではあったにせよ、「抱朴子(ほうぼくし)」において功過思想を大きく変えることになった葛洪(かっこう)の業績は、道教史上やはり非常に大きいと思う。
以上に述べたように、淮南子の「老荘思想」が道教を支える思想となってし、「抱朴子」の功過思想も道教を支える思想となっている。そして、道教の教祖は老子ということになっている。この点がややこしいのであるが、「老子」という書物もあるので、私が「老子哲学」というとき、淮南子の老荘思想、「抱朴子」の功過思想、「老子」という書物を含んでおり、それらの包含する哲学のことである。このこともあらかじめご承知おき願いたい。

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