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2016年1月21日 (木)

山地拠点都市構想(その120)

山地拠点都市構想(その120)
「山の霊魂」(16)

アリストテレスの「共感覚論」(4)

アリストテレスの共感覚とは以上のようなものであるが、 理性について、アリストテレスは人間の理性を二元的に捉えていたようである。理念的で能動的な理性と、感覚とつながりをもった受動的理性とである。アリストテレスにとって理性とは本来肉体とは独立したもので、それ自身の能動的な働きによって理念的な認識に達し、自分自身を実現することができる。したがってそれは肉体が滅びても、普遍的理性として永遠に存在し続けるとアリストテレスは考えていたのである。

ここでいう受動的理性とは、上述の五感によって外部の地物を感じて、行動を起こす理性のことであるが、さきほど述べたように、私たちの中には、ある特殊な人たちがいて、第六感を働かすことがことのできる人がいる。第六感は、直観とか霊感というものである。直観については、今西錦司が自分の体験からいろいろと語っている。それについては、私の電子書籍「祈りの科学シリーズ(1)」「100匹目の猿が100匹」に書いたので、是非、それを読んでいただきたい。これから人類は、第3の脳の90%という未使用部分を発達させ、特別の体験をせずとも直観がはたらかせることができるように、進化していくのである。アリストテレスは、この第六感のことを能動的理性と考えていたらしい。アリストテレスによれば、この能動的理性は受動的理性より優れたものであって、私たち人間は能動的理性を働かせるように、訓練しなければならないと考えていたようだ。上述したように、アリストテレスは、能動的理性は肉体が滅びても、普遍的理性として永遠に存在し続けるとアリストテレスは考えていた。これは霊魂の働きで生じる人間の理性のことである。

風土とは、自然の趣であり、歴史の趣であり、また人びとの生きざまがその土地にしみ込んだものである。そこから地霊の働きというものが生じてくるのだが、私たちはその土地に立ち、必死でその土地に関連することに思いを巡らせば、地霊の働きのよって、何か感じることができる。これが今西錦司が感じていたらしい帰属性というその人のアイデンティティであり、アリストテレスのいう能動的理性である。能動的理性が働くには、ある条件の良い場所でなければならないし、霊魂との響き合いをする受け手の作法みたいなものが必要だと、私は考えているが、要するに、条件さえそろえば能動的理性が働くのである。


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