« 継体天皇の謎(その6) | トップページ | 老子(その15) »

2016年1月18日 (月)

山地拠点都市構想(その118)

山地拠点都市構想(その118)
「山の霊魂」(14)

アリストテレスの「共感覚論」(2)

井坂枕も指摘しているように,原帰属性と帰属性と帰属意識とはそれぞれちがうと思う。先天的なプロトアイデンティティ(原帰属性)と・・・・後天的なものでプラトンのいうコーラに起因する帰属性などはともに無意識である。帰属意識はすべて後天的なもので意識である。 ハイデガーのいうように「ふるさとの喪失」することによって否が応でもニヒリズムに陥らざるを得なくなるのは、帰属性によるのであって、後天的な無意識である。意識の問題ではない。したがって、教育が悪いとか政治が悪いとか・・・そんな問題 ではまったくない。「ふるさと喪失」によって、誰もが無意識のうちにニヒリズムに陥ってやる気をなくすのである。現在はそんな世の中になっている。

さて、能力には先天的能力と後天的能力とがある。後天的能力は、自分の生活体験によって培われる能力と教育によって身につく能力である。古代人の能力は現代人の能力と比べて、必ずしも劣っている訳ではない。古代人といえども、もし今の教育を受けることができれば、東大にだって入ることができる。逆に、今の私たちが、古代人と同じ野性的体験をすれば、私たちたちといえども、古代人と同じ感性を培うことができる。要は、人間の能力は、生活体験と教育によって決まってくるのである。私が言いたいのは、古代人の能力が私たちのそれに比べて劣っていると考えてはならないということだ。古代人は、感性的な能力は優れているし、知識的な能力は劣っている。それだけのことだ。

今私は、本能とか先天的能力とか言っているが、本能と先天的能力とはちょっとニュアンスが違いがあるのかもしれない。しかし、ここではその時々において、感覚的に相応しい方を適当に使っているので、その点、ご了承願いたい。

本能には、プロトアイデンティティ(原帰属性)の他にいろいろな本能があると思うが、ある種の本能に起因して、すべての動物は全体を見て直感的にそれなりの適切な判断する能力を持っているようだ。特にそういう本能を強烈に持っている動物はオオカミである。そのことに関しては、私のブログに書いたのでそれをここに紹介しておくが、私は、オオカミが何ゆえにそういう能力を発揮できるのか不思議でならない。

http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-ea51.html


« 継体天皇の謎(その6) | トップページ | 老子(その15) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/63520652

この記事へのトラックバック一覧です: 山地拠点都市構想(その118):

« 継体天皇の謎(その6) | トップページ | 老子(その15) »