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2016年1月23日 (土)

山地拠点都市構想(その121)

山地拠点都市構想(その121)
「山の霊魂」(17)

古代人は山をどう呼んだか?(1)

さあ、アリストテレスの「共感覚論」の解説が終わったところで、いよいよ核心部分に入ろう。

シニフィアンとシニフィエとは同じ暗喩であるが、その意味するところは違う。言葉というものはシニフィアンであって、古代人はその感性でどのような言葉で山を呼んだのであろうか? オロチ? 自然の産みの力のある所といういみで、自分の体験と照らし合わせてホドと呼んでいたのではなかろうか。これらの疑問にこれから答えていきたい。

そこでまずの問題は、共感覚によって古代人が山をどのように見ていたかということである。共感覚による古代人の山に対する観念てある。古代人の山に対する観念は、さまざまな山の幸を与えてくれる地母神というような観念であったのではなかろうか。
「ヤマタノオロチ」という名称は、『日本書紀』で 八岐大蛇、『古事記』では八俣遠呂智という表記で出てくる。「ヤマタノオロチ」という名称の意味は諸説あるようだが、「オロチ」の意味として、「お」は峰、「ろ」は接尾語(の)、「ち」は霊力、また霊力あるものとする説もある。私はこの説が正しいのではないかと思っている。しかし、峰は山全体を代表していないので、縄文人が山全体をオロチと呼んだ訳ではない。ではどう呼んだのであろうか? その答えを出すには、縄文人は山全体を、先のアリストテレスのいう共感覚によってどう感じていたかを考えねばならない。縄文人は、共感覚によって、 自然の産みの力のある地母神のようなものと感じていたのではないか。そう私は思うのである。

地母神であるというような感覚があったとすれば、その感覚によって縄文人はどういう行動をとったであろうか? 「祈り」である。「これからも引き続き沢山の山の幸を与えて下さいと、祈ったのではなかろうか。山は縄文人の生活空間である。縄文人はまず山で祈った。その祈りによって、今西錦司流にいえば帰属性、アリストテレス流にいえば能動的理性が働いて「祈り」のためには何かが必要だという意識が生じた。「祈り」のためには祭壇と儀礼が必要だ。縄文人はそのために、石棒と炉からなる祭壇を作ったのであろう。 まず祈りが先にありきである。祭壇はその後だ。祭壇を作るという理性、これは素晴らしい。これが神道の始まりである。私はそう思う。 石棒は天にまします父なる神である。炉は山にまします母なる神である。このことについては、論文「女性礼賛」第5章第3節で詳しく述べた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/onna05.pdf

炉は地母神。炉は聖なる火処(ホト)、火炉(ホド)である。地母神の聖なるホト、ホドである。あらゆる山の幸はそこから産み出されてくる。だから古代人にとって、山は地母神であり、山を「ホト」又は「ホド」と呼んだのでなかろうか。



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