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2016年1月27日 (水)

老子(その20)

老子(その20)
老子とプラトンとの繋がり(6)

老子と宮沢賢治(3)

さらに、「グノーシスについて」という私の論考では、その要点を次のように述べている。すなわち、

『 「グノーシス」とは、歴史的に、「キリスト教から独立した別個の宗教・哲学体系の「認識」を代表するもの」と言われているが、私は、中沢新一と同じように、より広い概念でとらえたい。』

『 その典型的な事例は、伊勢神道に見られるようだ。』

『 辺境の地とは、中央の文化の及ばない遠隔の地をいうのではない。中央の文化の影響を受けながらも、古来からのその地域独特の文化を有している地域のことである。日本の中でいえば、その典型的な地域が東北である。東北の文化、それは、中沢新一いうところの「野生の文化」であるが、宮沢賢治などの感性豊かな人には「野生の感性」が息づいているようだ。金谷治も東北の人で、そういう「野生の感性」があるのだろう、哲学者として「辺境の地の持つ力」というものが自ずと判っていたようだ。』

『 金谷治の書いた「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世界」(1992年2月、講談社)を読んで私がいちばん強く思うのは、老荘思想のような物凄い思想が何故あのような「辺境の地」に誕生したかということである。それは、私の思うに、グノーシスの力による。金谷治は、そのことを知っていて、「淮南子(えなんじ)の思想・・・老荘的世界」(1992年2月、講談社)では、その点に力点を置いて解説しているように思えてならない。』・・・と。

前回に説明したように、「宇宙との一体感」とは「自然と一体感」のことであるが、そういう感性を持った日本の代表が宮沢賢治であるが、「無為自然」を説く老子もまさに「宇宙との一体感」を感じることのできる「野生の思考」の人であったと思う。

では次に、宮沢賢治は「宇宙のリズム」を感じることができ、その点でニーチェと共通点があることを説明する。老子とプラトンを繋げるには、宮沢賢治とニーチェを知ることが不可欠のようだ。

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