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2016年1月23日 (土)

継体天皇の謎(その10)

継体天皇の謎(その10)

第2章 わが国と朝鮮半島との繋がりの歴史について(3)
第1節 わが国の古代朝鮮との繋がり(概要)(3)

私の論文「邪馬台国と古代史の最新」 第8章第2節の6の(2)「翡翠の道」で述べたように、倭国の大商人のネットワーク組織がいくつかあった。そういう大商人は、人口密度のか高いところ、つまり政治の中心に引き寄せられてくる。河内王朝の時代、そういった大商人のネットワークを通じて多くの渡来人が大阪にやってきたようだ。そのことについて、中沢新一は「大阪アースダイバー」(2012年10月、講談社)の中で次のように述べている。すなわち、

『 南朝鮮から北陸、北部九州、瀬戸内海沿岸部は、6世紀くらいまではひとつの共通世
界を形づくっていました。「カヤ(伽耶)」である。その世界を、舟を使って自在に行き
来していたのが、海民と呼ばれる人びとです。海民は玄界灘を渡り、能登半島の方にまで
行き来していました。その共通世界における東の突端が大阪でした。彼らの言葉は共通言
語で、方言ほどの違いしかなかったのではないかと言われています。』・・・と。

琵琶湖周辺の古代豪族を見ても、琵琶湖周辺には大和朝廷とは浅からぬ繋がりを持った豪族がひしめいていたようである。まず、伊香氏をあげねばなるまい。伊香氏は湖北の名族である。伊香氏とともに強大な勢力をもって いたのが息長(おきなが)氏。息長氏の本拠も伊吹山西麓、現在の近江町あたりである。さらに、湖北最大の規模を誇る茶臼山古墳の主ともいわれる酒の祭神・ 坂田氏(坂田郡の地名)や犬上氏(犬上郡)、 鹿深氏(かふか→甲賀郡) など、琵琶湖周辺には古代豪族に由来する地名が非常に多く残っている。これは地名として残っている訳ではないが、三尾氏のことに触れないわけにはいかない。私の論文「邪馬台国と古代史の最新」の第4章第2節「琵琶湖周辺の豪族」において「白鬚明神と三尾氏」のことを詳しく述べているので、三尾氏のことについては「邪馬台国と古代史の最新」をご覧いただきたい。

私は、歴史の連続性というものを重視していて、歴史的な出来事というのは、何らかの形でその後も影響を与えているので、「過在」をみて過去のことを考察することが大事であると考えている。地理学という学問があり、その権威にオギュスタン・ベルクという人がいる。我は和辻哲郎の「風土」というものが一体どういうものかまったく理解ができず、それを勉強するために日本に移住してきた人であるが、彼は「風土」とは自然の赴きであり、歴史の赴きであると言っている。プラトンの「コーラ」も「風土」みたいなものであるが、私はオギュスタン・ベルクの「風土」やプラトンの「コーラ」に加えてさらに、人びとの生きざまがその土地に染み込んだものが風土であると考えているが、そこにそういうものが何故あるかを問うものが哲学を含む地理学である。だから、何故琵琶湖周辺に技術者集団を卓越しているのかを考察するのは、そういう地理学である。 現在見える枝葉を見て見えない根っこの部分を考察する「根源学」といっても良い。そういうものを意識して、まずは、琵琶湖周辺の技術者集団について、白州正子の考えを紹介しておきたい。

白州正子の名著「かくれ里」(1991年1月、講談社)の「金勝山(コンショウザン、コンゼヤマ)をめぐって」という論考がある。金勝山は最近は近江アルプスと呼ばれているが、琵琶湖の南にある連山で、その南側に信楽がある。山を巡って古い寺や神社があり、この地域には過去の歴史や文化の名残が残っている。それを地理学的に考察していけば、邪馬台国が近江であったとしても不思議でないように思えて来るだろう。何故そこに多くの古い寺や神社があるのか、何故そこに多くの技術者いたのか。同様の疑問をもう一つ出しておこう。それは最澄のことである。彼は比叡山の琵琶湖側・坂本の出身であるが、最澄のような偉大な人が何故近江から出たのか? それらに共通する答えは渡来人が多かったということだが、では何故琵琶湖周辺に渡来人が多かったのか? それが根源的な問題であって、地理学的というか哲学的というか、根源学的な考察をしていけば、多分、琵琶湖周辺に渡来人が多かったのは、邪馬台国が近江にあったということがほんのり見えてくる筈である。金勝山は栗東市荒張というところにある。

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