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2016年1月27日 (水)

継体天皇の謎(その12)

継体天皇の謎(その12)

第2章 わが国と朝鮮半島との繋がりの歴史について(5)
第2節 古代朝鮮の歴史について(概論)(1)
1、高句麗(1)

朝鮮の歴史における三国時代(さんごくじだい)とは朝鮮半島および満州に高句麗、新羅、百済の三国が鼎立した時代をいう。日本の歴史学ではおよそ4世紀ころから7世紀ころまでを指す。三国時代は、3世紀頃から始まるという説もあるので、ここでは三国時代は、3世紀、あるいは4世紀ころから始まるとしておきたい。

邪馬台国の時代は3世紀である。その3世紀、あるいは4世紀ころから始まる古代朝鮮の三国時代における三国(高句麗、百済、新羅)には伽耶は含まれていない。しかし、百済と新羅に隣接して、伽耶は存在していた。

伽耶(かや)は加羅(から)のことである。広義の任那に含まれるが狭義の任那とは位置が異なる。

加羅 は、『三国遺事』「駕洛国記」のことを載せている。金官国は、朝鮮半島における倭国の北端であり、魏志倭人伝における狗邪韓国(くやかんこく)の後継にあたる国であり、金官国を中心とする地域は、三韓すなわち弁韓、辰韓、馬韓の一部を含むとみなすのが通説である。

さて、高句麗のことだが、 高句麗は鴨緑江以北にあり、紀元前37年に漢から独立した。そして、邪馬台国ないしその後の4世紀頃、高句麗の二王子が王位の継承争いから逃れ、東明王の子温祚が半島の南西部に百済を建国し、そののち加羅が百済から自立したと言われているので、百済や加羅は高句麗から別れた国であると言っても良い。
220年の後漢の滅亡が、高句麗、百済、斯盧の発展を許した。三国は皆同じ文化を共有し儒教がそれら三国の上流階級に広がった。後に儒教は仏教に入れ替わった。
三国のうちで最大であった高句麗は、鴨緑江沿いの国内城とその山城である丸都城の二つの並存された都をもっていた。建国の始めには高句麗は漢との国境沿いにあり、ゆっくりと満州の広大な土地を征服していき、最後には313年に楽浪郡・玄菟郡を滅ぼし領域に入れた。4世紀には、百済が栄え、半島の広い地域を支配した。

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