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2016年1月10日 (日)

継体天皇の謎(その3)

継体天皇の謎(その3)

第1章(1)
第1節(1)

大伴金村は、何故継体天皇を擁立したか? 応神天皇の子孫には継体天皇までにも多くの天皇候補者が多くいたはずである。だからこそ、継体天皇が大和入りするのに約20年もかかったのである。
応神天皇には三人の子供がいた。仁徳天皇、菟道稚郎子、稚野毛二派皇子の三人である。そしてこれら三人の子孫には継体天皇だけということではなく数多くの人がいた筈である。それにも関わらず何故継体天皇が擁立されたのか? それが謎である。

『日本書紀』によると継体天皇6年(512年)に高句麗によって国土の北半分を奪われた百済からの任那4県割譲要請があり、大伴金村はこれを承認し、代わりに五経博士を渡来させた。

そして、継体天皇21年(527年)の磐井の乱の際には物部麁鹿火を将軍に任命して鎮圧させた。

継体は、ようやく即位19年後の526年、大倭(後の大和国)に都を定めることができたが、その直後に百済から請われて救援の軍を九州北部に送ったのである。しかし新羅と結んだ磐井によって九州北部で磐井の乱が勃発して、その平定に苦心している(磐井の乱については諸説ある)。日本書紀の記述では継体が507年に即位してから大和に都をおくまで約20年もかかっており、皇室(実態はヤマト王権)内部もしくは地域国家間との大王位をめぐる混乱があったこと、また、ヤマト王権は、即位当初、九州北部の地域国家の豪族を掌握できていなかったことを示唆している。

このようなことを考えると、継体天皇擁立の理由は、応神天皇の血を引いているということだけではあるまい。継体天皇の朝鮮半島との繋がりが重視されたのではないか。

では、そもそも継体天皇とはどのような出自なのか、その生い立ちを見てみよう。

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