山地拠点都市構想(その112)
山地拠点都市構想(その112)
「山の霊魂」(8)
町田宗鳳の考え(1)
人類の最初の神が動物であったとするバタイユの説は、日本人と山の関係を考える上で、ひとつの重要なヒントを与えてくれる。それは、この山また山の列島に暮らした古代日本人の目に映っていた山の姿についてである。近代人にとって山は、土や岩の塊が隆起してできた特殊地形以外のなにものでもあり得ないが、古代人にとっては、山は息巻く巨大な動物ではなかっただろうか。山は、肉体を持つ動物である証拠に、あらゆる動物たちを産み落とす。さしずめ日本の山なら熊や鹿、イノシシにサル、それにウサギやリスなどが、ところ狭しと駆け巡っていただろう。かってはカモシカやオオカミもふんだんにいたはずである。いや現在からは想像もできないような珍しい動物が棲息していた可能性もある。それもいつかは考古学者の手によって、明らかになるだろう。人間がこれらの動物の肉を口にするとき、それは山という巨大な動物の分身の肉にほかならなかった。古代人の目には、山はけっして無機質な物体ではなく、切れば真っ赤な血が吹き出るほど、肉感をそなえていたのではないか。それは、人間と山が同じ「いのち」で繋がる生き物だという感覚でもある。
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