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2015年12月10日 (木)

山地拠点都市構想(その111)

山地拠点都市構想(その111)
「山の霊魂」(7)

古代人の「祈り」の様相(6)

 炉というものは、実用な面だけでな く、何か不思議な力を持っているようだ。「炉の聖性」と言っても良い。縄文人も「炉の聖性」を感じていたようで、縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用 でも、調理用でもなかったらしい。 小林達雄は、その著書「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で、「火を焚くこと、火を燃やし続け ること、火を 消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではないか」と述べ、火の象徴的聖性を指摘している。
 詳しくは小林達雄の「縄文の思考」を 読んでもらうとして、ここでは、炉の形態はさまざまだとしても、一般的に縄文住居には聖なる炉が あって、 聖なる火が消えずにあったのだということを確認しておきたい。そして、これも当然小林達雄も指摘しているところだが、炉と繋がって石棒などが祭られているのが一般的である・・・・、そのことを併せて確認 しておきたい。聖なる炉と聖なる石棒、これは正し<祭りのための祭壇>である。

 矢瀬遺跡は縄文時代の祭りを考える上 で欠かすことのできない遺跡であると思う。博物館としてはほとんど手が入ってないので、一般の人には面白くないかもしれないが、祭りの哲学的な意味について興味をお持ちの方は、 是非、 一度は矢瀬遺跡に出かけて欲しい。矢瀬遺跡は上越新幹線の上毛高原駅と上越線の後閑駅の間にある。上越新幹線と上越線を結ぶために連絡バスがひっきりなし に出ているし、上越線の後閑駅に特急が止まるので、交通の便は非常に良い。
矢瀬遺跡については素晴らしいホームページがあるので、まずはそれを見ていただきたい。

http://inoues.net/ruins2/tsukinoyo.html

 私は先に、 「聖なる炉と聖なる石棒、これは正しく祭りのための祭壇である」・・・と申し上げたし、これもまた先に、「祭りは神の世界と人間の世界をつなぐインターフェースである」ことも申し上げた。
 また、古代信仰に関する吉野裕子の見 解・・・「 神霊は男性の種として蒲葵に憑依し、巫女の力をかりてイビと交歓する」も紹介済みであるが、キリスト教でいえば聖霊、中沢哲学でいえば流動的知性に関わる 精霊(スピリット)ということになるが、そういう種が、男性の象徴・石棒など(男根、石棒、立石)から女性の象徴・炉の火に発出されて、何か価値あるもの が誕生するのである。これは自然の贈与と言って良い。この縄文住居の祭壇において祭りが行われ、自然の贈与が発生するのである。これすべて流動的知性の力 による。こういったことを念頭に置いて、矢瀬遺跡の核心部分をご紹介しおきたい!

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tanaba08.pdf

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