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2015年11月10日 (火)

近代国家の責任(その!3)

近代国家の責任(その13)

おわりに(3)

「エロス原理」とは「感じる原理」であり、身体はその原理にもとづいて存在している。私はその「身体はその原理にもとづいて存在している」ことを「身体の統一性」と呼びたい。竹田青嗣は上記著書の中で、メルロ=ポンティが「身体の統一性」について触れている点を紹介しているが、どうもあいまいであるので、私なりのイメージをはっきりさせたいと思う。

 私が思うに、「身体の統一性」とは三階建ての三つの脳(恐竜型脳と原始ほ乳類型脳と新哺乳類型脳)の総体のことである。それによって働くのが身体、すなわち「身体の原理」、「エロスの原理」である。私たちは身体を生きているが、それはとりもなおさず「エロスの原理」によって生きていることに他ならない。主体がすべての対象と向き合う
とき、その対象が女性であれ男性であれ、自然であれ、神であれ、すべての場合、「エロスの原理」が作用する。「エロスの原理」が作用する神というものも存在する。神にもいろいろあって、もっとも偉大な神は、「エロスの原理」をつくり出している神、すなわちそれが「エロスの神」であるが、その神すら「エロスの原理」によって運動のエネルギーを分節している。その分節によってさまざまな神がそれぞれ役割分担をするかたちで存在するのである。

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