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2015年11月25日 (水)

老子(その7)

老子(その7)
淮南子(えなんじ)の思想史的意義(3)

「淮南子」によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだが、それが確立された。そのことについては、金谷治の「淮南子の思想」(1992年2月、講談社)にいろいろ詳しく述べられているが、ここではその骨子のみを紹介しておきたい。
「老子」と「荘子」という書物があったことはまず確かであるが、「荘子」についてはその内容がどのようであったかとくに疑わしい。そして、「老子」の思想がまずあって、それを受けて発展させたのが「荘子」だという昔からの説は、今の書物についていう限りでは正しいが、淮南王(わいなんおう)のころの「荘子」もそうであったかどうか、これは大いに疑問である。
「荘子」の古い中心部、それは本来「老子」とは、無関係にできたもので、「老子」より新しいものとは、必ずしもいえない。淮南王( 淮南地方の王 で淮南子の編集責任者。多くの食客がこの王の下に集まってきて淮南子が出来上がっていった。)のみた「荘子」は、恐らくそうしたテクストであろう。
したがって、今日の「荘子」のテクストが淮南王の食客たちの手をへて出来上がったことは、ほぼ確かであるが、もしそうなら、さらに、「荘子」の中の老子的な文章はあるいはここで成立したものではないか、という想像もなりたつ。「老子」と「荘子」とを並べあげて重視し、「老荘」という言葉を使うのは、「淮南子」が初めてのことで、それ以前の文献として確実なものには両者を近親的なものとして説いた例がなく、事実、漢初の思想界をみても、そのことがなっとくできるからである。
漢の初め、宮廷を中心とした黄老(こうろう)の学とよぶ道家思想の栄えたのは、有名なことである。それが黄帝と老子を結びつけたよび名で、道家という名称よりも早く山東の斉(せい)の地方から起こったものだということは、ほぼ確かであろう。
「老子」と「荘子」とは本来無関係にできあがり、それを信奉する人びとも別派をなしていたらしいのを、恐らく初めて、その類似性に注目してそれを問題として取り上げたのが、淮南の道家学者たちではなかったか。「老子」によって「荘子」を解釈し、また「荘子」によって「老子」をひろめることがここで行なわれ、それにつれて今日の「荘子」の内容となったものも多く作られた可能性がある。「淮南子」にみえるきわめて多くの老子的あるいは荘子的な語句、そしてなによりも老荘的な統一の場は、こうした思想史的意義を持つものである。

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