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2015年11月10日 (火)

老子(その5)

老子(その5)
淮南子(えなんじ)の思想史的意義(1)

中国の道教は多神教であり、日本の場合と違って、実に面白い神を多い。その道教を支える哲学は、老荘思想ということだが、その老荘思想は「淮南子」によって完成された。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/enanji.pdf
日本は、仏教が神道と習合してきた歴史があるし、道祖神その他の土着の宗教が今なお息づいているし、まさに多神教の国である。私たちはどんな神に「祈り」を捧げることができる。中国にその起源を持つ庚申信仰も今なお盛んであるし、道教の媽祖廟や関帝廟にお詣りする人も少なくない。「にゃんにゃん」の祠もあちこちに残っている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/nyannyan.pdf

日本はまさに多神教の国なのである。これは世界に誇っても良いことだと思う。しかし、日本人の宗教心を世界の人びとにご理解いただくためには、日本人の宗教心に関する哲学的な説明が必要である。
中村雄二郎のリズム論がその端(はし)りである。これを発展さして日本版「淮南子」まで辿り着かなければならないが、それには歴史的時間が必要だ。したがって、ここ数百年の間、「哲学的宗教」としては、道教しかないのではないか? 私はそのように思う次第である。

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