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2015年11月 5日 (木)

近代国家の責任(その12)

近代国家の責任(その12)

おわりに(2)

 そうなのである。私の問題意識はまさにそこにあって、現実には難しくとも、そういう理想のコミュニティに向かって努力することが肝要である。私は、バウマンが楽園の異名といったり、ユートピアみたいなものといったり、「想像のコミュニティ」といったりしている地域コミュニティを、マイノリティを救済するNPOが存在するという大前提で、私たちが現実に目指すべき理想のコミュニティと呼ぶことにする。私は、バウマンが言うように、地域コミュニティからはじき出されるマイノリティが出てこざるを得ないが、マイノリティが助けを求めて逃げ込む避難所がどこかにあれば、その地域社会は健全で慈悲に満ちていると思う。私たちはそういう理想的な地域社会を「地域コミュニティ」を中心に創り上げていかなければならない。

理想的な地域コミュニティを作るために私たちは努力をしなければならないのである。私が考える努力の方向は、三つある。ひとつは「地域通貨」である。二つ目はマイノリティを支援するNPOが地域コミュニティに多数あることであり、三つ目は、「エロスの神」が地域コミュニティ存在することである。ここでは「エロスの神」について説明する。

 竹田青嗣はその著「エロスの世界像」(1997年3月、講談社)の中で次のように言っている。すなわち、

『そもそも「対象化する」とはどういうことか。人はまずそれを「意識すること」とか「認識すること」といった言葉でイメージする。しかし実は「対象化する」とは、根本的には、世界に対して主体がひとつのエロス的関係として向き合うことを意味している。くり返して述べてきたように、純粋な「意識」や純粋な「認識」というものはありえない。「意識」や「認識」はまず「感じる」ということを基礎としており、この「感じる」とは「エロス原理」として理解されなくてはならない。まさしくこの「エロス原理」こそ世界が「対象化」されるための条件なのである。「身体」は文字通り、まず「感じる」原理である。メルロ=ポンティによれば「身体」とは「対象を存在させる原理」だが、これはつまり「身体」とは「価値評価」し、区分し、分節する根本的な原理、つまり「エロス原理」であるということを意味している。』・・・と。

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