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2015年11月 5日 (木)

山地拠点都市構想(その107)

山地拠点都市構想(その107)
「山の霊魂」(3)

古代人の「祈り」の様相(2)

「女性礼賛」の第5章第3節に詳しく書いた。「女性礼賛」の第5章第3節に詳しく書いた。その中から関係部分をここに再掲しておきたい。

縄文時代の住居には、炉とその隅に石棒が立てかけられている事例が少なくない。そういうところでは、家のなかで毎日のように、天の神や地の神への「祈り」が捧げられたのである。私たちの多くの家で、仏壇や神棚でお祈りがなされるのとまあ同じようなことだ。ロウソクやお灯明は聖なる火である。その聖なる火については、小林達雄がその著「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で次のように言っている。すなわち、

『 縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用で、調理用でもなかったのだ。それでも、執拗に炉の火を消さずに守りつづけたのは、そうした現実的日常的効果とは別の役割があったと見なくてはならない。火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やしつづけること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。』・・・と。

小林達夫は、火に対する象徴的観念の重要性について述べているのである。そして、火の象徴的聖性は、今日の私たちの生活においてもいろいろな場面に認められることを述べ、その原点は、結局、縄文住居の炉にあるのではないかと言っている。私もまったくそう思う。

 そして、縄文住居の炉は、女性の「ホト」でもあり、女性の象徴的聖性を表わしていると考えている。地球の母の象徴的聖性、地の神の象徴的聖性と言っても良い。




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