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2015年11月15日 (日)

山地拠点都市構想(その109)

山地拠点都市構想(その109)
「山の霊魂」(5)

古代人の「祈り」の様相(4)

 私は,かって、その石棒の持つ意味について、次のように述べたことがある。すなわち、
『 さて、今ここで私のいちばん言いたいことは、柳田国男と胞衣(えな)信仰に出てくる「富士眉月弧(ふじびげつこ)文化圏」において、ミシャクジは、古くから信仰されてきた土着の神であり、石棒や丸石などが御神体とされる・・・ということである。このご神体は、土地精霊と見られている原姿の神で、諏訪大社によって祀られてきた神としてもよく知られている。
 次に、諏訪大社といえば、御柱(おんばしら)が有名であるが、 御柱(おんばしら)は神が降臨する依代(よりしろ)といわれている。神が降臨する依代(よりしろ)としての 御柱(おんばしら) ・・・・、これが二番目に言いたいことだ。
 伊勢神宮にも心御柱というのがある。心御柱を伐り出す「木本祭」は、神宮の域内で、夜間に行われ、それを建てる「心御柱奉建祭」も秘事として夜間に行われる。すべて、非公開で、しかも、夜間にのみ行われるというのは異常だ。もし心御柱が精霊(神)だとすれば、異常な神、すなわち異神であり、山本ひろ子の言う異神・摩多羅神と同じではないか。しかも、猿田彦神社の宇治土公宮司に聞いた話によると、伊勢神宮でもっとも重要な行事であり、猿田彦神社の宇治土公宮司がそれを司祭するのだそうだ。隠れているということで摩多羅神とイメージがだぶり、猿田彦ということでシャクジンとイメージがだぶっている。誠に不思議な心御柱ではある。
 私は、祭祀として立てる柱は、環状木柱列遺跡の柱なども含め、神が降臨する依代(よりしろ)であり、縄文人の観念としては、天の神と地の神をつなぐ通路であったと思う。
その通路によって、天の神と地の神は合体し威力はさらに強大なものとなる。私は、縄文人はそんな観念を持って柱を立てたのだと思う。
 上述のように、金春禅竹は、「星が地上に降下して、人間に対してあらゆる業を行なう」と考えていたが、その通路が柱であったり、先に述べた堀田総八郎のいう「天文祭祀線」であったりしたのであろう。 いずれにしろ、星というか天の神が地上に降下して、母なる地の神と一体になって人間に対するあらゆる業を行なったのである。その導きの神が、土地精霊と見られている原姿の神としての石棒がある。すなわち、神が降臨する依代(よりしろ)としての 御柱(おんばしら)の源流に精霊(神)としての石棒がある。猿田彦大神はその変形である。』・・・と。

 ここで大事なことは、地の神というか地母神というか聖なるホトに天の神が降臨するということであり、ただ単に精霊(神)の働きがあれば良いというものではない。精霊(神)の働きは不可欠だが、何かが新しく生まれてくるためには、人々の敬虔な「祈り」が必要である。天の神と地の神との合体による「摩訶不思議な力」と 人々の敬虔な「祈り」と価値あるものの「誕生」、この三つはボメロオの環でがっちりと繋がっている。

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