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2015年11月25日 (水)

山地拠点都市構想(その110)

山地拠点都市構想(その110)
「山の霊魂」(6)

古代人の「祈り」の様相(5)

天の神と地の神をつなぐ機能を 持つものとしては、 諏訪大社の御柱(おんばしら)や伊勢神宮の心御柱のほか、聖地に存在する磐座(いわくら)やモンゴルのオボー、そして道祖神などがあるが、私は、それらの 源流にあるのは石棒だと考えている。そして、群馬県月夜野町は利根川河畔の矢瀬遺跡に訪れてその実感を強めたのだが、その報告を以下にしておきたい。

 新田次郎の「アラスカ物語」という素晴らしい本がある。主人公のフランク安田という人の存在もそうだが、こういう本が存在すること自体が私たち日本人の誇りであると思う。この「アラスカ物語」にはいろいろ光のことが出てくるが、その一部を紹介しておきたい。すなわち、

『 薄紅色の南の空のオーロラが消える と、たちまち頭上に輝きが起こった。色彩のはげしい点滅と動揺が空いっぱいに広(ひろ)がっていた。天の心のいらだちをそのまま表現したようなせわしげな 点滅が繰りかえされていた。その夜のオ
-ロラは緑を主体としたものであった。緑の絨毯(じゅうたん)全体的に激しい明滅を繰り返しながら全天に拡がって 行ったが、やがて、部分的な点滅現象は終わり、それにかわってかなりの面積を持った平面的な明滅が始められた。点滅が
明滅になり、時間的に余裕を持った、 輝きと色彩の周期運動に変ってくると、緑の絨毯が翼に見えて来た。怪鳥の頭部に当たるあたりに鮮明な赤い爆発が起こった。赤は緑を二つに分断した。緑の両 翼は空いっぱいに羽撃(はばた)いた。
オーロラが出ているのに、星は依然として輝きを失っていなかった。星はオーロラよりも夜空における権威者であった。 遥(はる)かに高いところから、オーロラの芸当を眺めているようであった。』

『 フランクとネビロは暖炉の火を見つめながら夜遅くまで語った。長い放浪に近い生活を互いに振り返りながら、外の吹雪の音を聞いた。「火がこんなに美しいものだとは知らなかったわ」ネビロは 膝(ひざ)に抱いているサダの小さな手を
暖炉にかざしながら言った。「そうだ暖炉の火ほど美しくて、心の暖まるものはない」心が暖まると言ったとき、彼は 突然故郷を思い出した。石巻の生家の炉に赤々と火が燃えていた。天井から吊り下げた鈎(かぎ)に掛けられた南部鉄瓶(てつ
びん)から湯気が吹き出していた。囲炉裏をぐるっと家族がかこんでいた。祖父の顔が奥にあった。両親も兄弟姉妹たちも炉の火に頬を赤く染めていた。どの顔もにこやかにほほえんでいた。』・・・・と。

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