« ネパールの陰(その5) | トップページ | 山地拠点都市構想(その110) »

2015年11月15日 (日)

老子(その6)

老子(その6)
淮南子(えなんじ)の思想史的意義(2)

道教はもともと自然発生的に生まれた宗教であるが、それが老荘思想と結びついて、いつ頃から道教という宗教団体ができたのか、浅学の私には判らない。しかし、老荘思想は、「淮南子(えなんじ)」という書物によって、漢王朝(光武帝)の儒家思想に対抗する形で確立されるので、その宗教団体の名称はともかく、 漢王朝(光武帝) の時代には現在と同様の「哲学的宗教」が成立していたことは間違いないと思う。

「淮南子」によって、現在道教と呼ばれる宗教の哲学、それは「老荘思想」ということだが、それが確立された。私が日本版「淮南子」という言葉を使ったのは、日本においても「淮南子」のような「完成された宗教哲学の書」が必要だと考えるからである。日本版「淮南子」とは、日本における「完成された宗教哲学の書」という意味である。私の認識としては、中村雄二郎のリズム論がその端(はし)りであって、これを発展さして日本版「淮南子」まで辿り着かなければならないと思う次第である。

« ネパールの陰(その5) | トップページ | 山地拠点都市構想(その110) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/62520971

この記事へのトラックバック一覧です: 老子(その6):

« ネパールの陰(その5) | トップページ | 山地拠点都市構想(その110) »