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2015年11月 2日 (月)

山地拠点都市構想(その106)

山地拠点都市構想(その106)
「山の霊魂」(2)

古代人の「祈り」の様相(1)

古代人の生活空間は山だ。平野ではない。だから、大地の神、地母神のおわす所は山である。古代人はその山をどのように見ていたのであろうか?

山で生活していて、命に関わるいちばん大事なことは何か?それは方向感覚である。自分の居る今の場所、これから行く場所、これから帰る場所、それらの方向が常に頭の中ではっきり描かれていないと、山に迷って死んでしまう。山はそれほど恐ろしい所だが、北極星が常に頭の中に入っておれば大丈夫。山に迷うことはない。

天空には夜は満天の星。昼はさんさんと太陽が輝く。その太陽のお陰で山には「山の幸」がいっぱいだ。そしてそれら生活の糧を得るために山に入るが、そのときの頼りは北極星である。山が「山の幸」を生むのは大地の「産みの力」だが、それは太陽の働きかけがどうも関係しているらしい。その太陽は常に動いているが、北極星は動かない。どうも天空の中心は北極星らしい。古代人はそのような感覚のもと、天空の不思議な力を感じていたようだ。
ところで、子供は母親から生まれるが、それも父親の働きかけがなければならない。父親の働きかけ、それはほとばしる精液のことだが、それは母親に働きかけて子供を産ませる力を持つ不思議なものである。その不思議力というのは、夜にやってくるようだが、一体、それはどこからくるのか? 北極星の方面からではないか? 北極星というのは、摩訶不思議な存在だ。思わず手を合わせざるを得ない。子供が誕生する不思議な現象と「山の幸」が生まれる現象とが重なり合って、古代の「祈り」が行われたのではないか。男性のシンボルは天空の不思議な力は女性「穴」に注ぎ込まれる。天空の不思議な力、それは今でいう「神の力」ということだし、女性の「穴」、それは今でいえばその「奥」に神が存在するということだが、石棒というのは、天空の神が大地の神のところに通う通り道である。縄文時代の竪穴住居にしつらえられた祭壇で、赤々と燃えた「炉」は女性の「穴」のことだが、その「穴」の「奥」におわす大地の神のところに、石棒を通じて天空の神が降りてくる。
その神への「祈り」は、ムラとしては戸外で行われる。その際には、石棒はあまりにも小さすぎるので、大きな柱が神の通い道となる。その辺の様子については、私の電子書籍「女性礼賛」の第5章第3節に詳しく書いた。その中から関係部分をここに再掲しておきたい。




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