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2015年10月 2日 (金)

山地拠点都市構想(その100)

山地拠点都市構想(その100)
第2章 山についての論考を振り返る(1)

私の山とのおつき合いは古く、その体験からいろいろと山について書いてきた。その中から、今回の論文「山地拠点都市構想」と文脈的に関係のある「山についての論考」をピックアップおきたい。

 日本は山国である。国土面積の約70%が山だという国は世界でも珍しい。 そして、日本の登山の歴史はとても古く、世界に類を見ないほどである。西洋では、山は悪魔の住むと ころとして近代まで近寄る人は少なかったようであるが、わが国の場合、縄文時代にすでに山頂で祭祀が行われていたようであり、石器時代の狩猟生活を考え合 わせてみれば、日本人の山との関わりあいは相当に古い。
 『日本百名山』の山の文学者、深田久弥が「信仰登山」のなかでこう記している。
 「・・・・『万葉集』に、山部赤人の富士山をたたえた歌や、大伴家持の立山をあがめた歌が残ってい る。山岳文学といったものを設定するとすれば、おそらくこれが世界最初の山岳文学の傑作であろう。これほど早くから、山をあがめ、山に親しみ、山が好き だった国民は世界中どこにもなかった。
 富士山に最初に登ったのは「続日本紀」に出てくる役小角(えんのこづぬ)という僧といわれ、天武天皇の時代である。また「富士山記」が収められている『本朝文粋』は平安朝の書である。その文章には実際に富士山に登ってみないと書けない山頂の詳しい描写が綴られている。
 このように日本の登山史は世界に類を見ないほど古く、今から1200年前に、宗教的な登山ではあっ たが、すでに登山の黄金時代があった。僧や修験者により、富士山、立山、槍ヶ岳、白山など多くの山が開かれている。記録としては633年の富士山登頂が世 界で最も古く、それから九百年を経た1522年にメキシコのポポカテペトルが登られるまで、その登頂高度記録は破られなかったという。
 立山は701年に慈興(じこう)上人によって開山され、白山は716年に泰澄によって開かれた。さ らに相模の大山は755年に良弁によって、日光の男体山は782年に勝道(しょうどう)上人によって登頂されている。ちなみに、ヨーロッパ・アルプスの最 高峰モン・ブランが初登頂されたのは、それから千年後の1786年のことである。
  こういう日本の歴史を世界の人にも知ってほしいと思っている。日本文化のなかにいかに山の文化が育まれ、森の文化が含まれているか、日本人の心の源流がいかに自然に根ざしているのかを知ってほしいと思っている。
 日本人のアイデンティティーは山への畏敬(いけい)の念、森への畏敬の念から成り立っている。それ は自然のなかを漂泊する自我であり、無の実感である。漂泊することにより自我にめざめ、違いを認める文化が生じ、それが多神教の文化をもたらす。多神教が いいとか一神教が悪いなどと言っているのではなくて、いろんな文化が共生する世界であってほしいのだ。違いを認めあう世界でなければならないということ だ。もはや世界は一神教の文化ではやっていけないと思うのである。

以上は、「山の国が育むもの」 
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/4honyama.html
からの抜粋である。


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