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2015年10月12日 (月)

山地拠点都市構想(その103)

山地拠点都市構想(その103)
第2章 山についての論考を振り返る(4)

梅原猛さんは、浄土教の教え、すなわち<山川草木悉皆成仏>の考え方は典型的な<森の思想>だと言っ ておられるのだが、縄文時代から連綿と続いているところの「日本の宗教」というものは<森の宗教>だとお考えのようで、・・・・こう言っておられる。
「この<森の宗教>の思想について、私は長い間いろいろと考えてきたのですが、結局、森の宗教の思想 は、生きとし生きるものはすべて共通の生命で生きている。そして生きとし生きるものはすべて成仏することができるという考え方だと、最近思うようになりま した。動物の命も、山や川すら成仏できる。そして成仏するばかりでなく、生きとし生きるものはすべて生死の間を循環している。」
「植物や動物の命を尊敬して天地自然を尊敬する。そしてその天地自然や動物と調和して生きていく、共 生する方法をわれわれは考えなければならないのです。」
「人間は動物や植物を殺さなければ生きていけない面があります。動物の命を奪うにせよ、われわれと同 じ命をもった木を、そして動物を殺す訳ですから、その木や動物の霊を手厚くあの世に送らなければならいのです。霊をあの世に返さなければならないのです。 そしてまた木や動物たちにこの世に帰って来てもらわなければならない。私は、こういう宗教を今こそとりもどさなければならないと考えるのです。」
「人間が生きていくということはどういうことなのか、それは植物も動物もみな同じ命であって、すべて のものはあの世とこの世を循環しつつ、永遠に共生しているのだということを認識しなければならないと思います。
そういう思想が人類に浸透したときに、人類は生き残る可能性がでてくるのだと思います。巨木の問題 は文明の根底に関する問題であり、そして巨木を中心とする街づくりは、21世紀を正視する街づくりでなければならないと私は思います。」

以上は、「 巨木を中心とする町づくり」http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/umehara.html


からの抜粋である。

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