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2015年10月18日 (日)

宇宙のリズム(その12)

「宇宙のリズム」について(その12)

チベットのラマ・リンポチェ・・・その認識と実際(その2)

なお、大勢の弟子どもの集まっているところで、神から選ばれた人が最後の説教をするときには、 前回に述べた二番目の『 』の不思議な現象が起こるらしい。これも神の意志で、みんなを祝福し、神から選ばれた人の応援をしているらしい。これと同じ現象が、釈迦の最後の説教「法華経」の場面で起こっている。下記のとおりである。

釈迦はそれらシヴァらの列席を意識しながら、まず軽い説経を行った後、口をつぐんで瞑想に入り込んだ。このとき、いくつかの摩訶不思議な現象が起こり、そのあとでいよいよ重大な説教が始まるのだが、このあたりの描写は 、中村圭志の著書「超訳法華経」(2014年3月10日、中央公論社)がもっとも優れていると思うので、そこから引用させていただいた。以下の字の色を青色に変えてある部分は 中村圭志の著書「超訳法華経」 からの引用である。この場を借りて、中村圭志に感謝申し上げるとともにすばらしい翻訳をされたことに対し深甚なる敬意を表させていただく。

釈迦はそれらシヴァらの列席を意識しながら、まず軽い説経を行った後、口をつぐんで瞑想に入り込んだ。 不思議なことに、このとき、天空から「天上の花」である曼荼羅華、摩訶曼荼羅華、曼珠沙華、摩訶曼珠沙華が降ってきた。

そして、説経の舞台「霊鷲山」を含めて全仏国土が動き、動き合い、揺れ、揺れ合い、震え、震え合った。この奇跡的な光景を見た聴衆たちは、人間も、各種の生き物も、シヴァら霊的存在も、歓喜して釈迦を凝視する。

すると、釈迦は、眉間の「白毫(びゃくごう)」と呼ばれる神秘的なスポットから光線を放つ。光のビームはまっすぐ東の空に向かう。まわりの世界は一瞬のうちに真っ暗になる。東方の上空がオーロラのように輝きだす。そのオーロラは映画のスクリーンのようになっている。そこには無数の生き物たちの光景が映し出されている。

その光景は、六つの空間に分かれている。ひとつはどうやら地獄界の光景らしい。恐ろしい精神的な苦しみの中にいる生き物たちがいる。別の区画には餓鬼界が映っている。飢えに悩まされる生き物たちの世界だ。さらに畜生界がある。これは精神的にも肉体的にも原始的なレベルに退化したものたちの世界だ。そして阿修羅界がある。これは人間並み、あるいは神々並みの精神的水準を保ちながらも、あくまでも闘争し合う、いつまでも不安を抱えている者たちの世界だ。そして平凡な人たちの暮らす人間界がある。平凡な人たちもまた、やはり数多くの悩みを抱えている。さらに天界において神々のように暮らしている者たちの様子が映し出されてる。世界の最も高いところに暮らす彼らは幸せそうに見えるが、心の底にはやはり一抹の不安を抱いている。なぜなら彼らもまたいつでも下の世界のレベルの世界に落ちる可能性を持っているからである。そんな6種類の生命のあり方をつぶさに観察できるのである。


釈迦は瞑想の境地から離れて、声聞の中でも知恵いちばんとうたわれる舎利弗に向かって説き始める。聴衆はみな耳をそばだてて聞き入る。釈迦は言う。

「ブツダという存在の知恵は際限なく深い。その知恵の門をくぐるのはたいへん難しい。」

「大宇宙にはさまざまな平行世界がある。あなたがたまたま住んでいるこの銀河宇宙を含む世界は、娑婆(しゃば)世界だ。この世界のブツダが私である。極楽世界も平行世界の一つだが、その世界のブツダは阿弥陀(あみだ)である。」


この世はそれら平行世界と繋がっている。繋がっているということは、波動を通じて繋がっているということだが、この世のブツダである釈迦は、そういう平行世界のブツダと響き合うことができ、そういうブツダの力を借りながら、この世で慈悲と愛の実践を行っている。



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