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2015年9月18日 (金)

近代国家の責任(その2)

近代国家の責任(その2)
2、ヨーロッパ列強の進出について

近代の前は近世であるが、近世とは、西洋史ではおおむね大航海時代あたり(15世紀~16世紀)から始まるとされている。増田義郎によれば、大航海時代の始まりは、15世紀初頭におけるポルトガルのセウタ攻略とされているが、17世紀の半ばまで続く大航海時代の覇者は何と言ってもスペイン帝国である。
スペイン帝国はその最盛期には南アメリカ、中央アメリカの大半、メキシコ、北アメリカの南部と西部、フィリピン、グアム、マリアナ諸島、北イタリアの一部、南イタリア、シチリア島、北アフリカの幾つかの都市、現代のフランスとドイツの一部、ベルギー、ルクセンブルク、オランダを領有していた。また、1580年にポルトガル王国のエンリケ1世が死去しアヴィシュ王朝が断絶すると、以後スペイン王がポルトガル王を兼ねている。植民地からもたらされた富によってスペインは16世紀から17世紀のヨーロッパにおける覇権国的地位を得た。

一方、イギリスは、16世紀初め、国王ヘンリー8世は大砲を搭載した大型軍艦を何隻も建造し、のちのイギリス海軍の基盤を築く。 そして、16世紀の終わり頃、アルマダ海戦という海戦でスペインの無敵艦隊を撃破した。また北米にバージニア植民地を建設し、1600年には東インド会社が設立されるなど、英国の対外発展の基礎が築かれた。

しかし、イギリスはスペインの無敵艦隊を撃破したことにより覇権国となったのではない。アマルダ海戦以降の覇権国はオランダである。オランダはオランダは日本語での特殊な用語であり、オランダ語では、ネーデルラントという。ネーデルラント諸州は1602年、オランダ東インド会社を設立してアジアに進出し、ポルトガルから香料貿易を奪取して、世界の海に覇権を称えた。このため貿易の富がアムステルダムに流入して、17世紀のネーデルランド共和国は黄金時代を迎えることとなる。オランダ海上帝国とも呼ばれる。

オランダ東インド会社は、アジアだけでなく南北アメリカにも植民地を築いた。しかし各地の植民地でイギリス東インド会社と衝突し、ついには3次にわたる英蘭戦争となり、次第にイギリスが優勢に立つことになったのである。 イギリスは世界進出に遅れをとり、香料諸島には入れず、インドに貿易拠点を置くしかなかった。 ところが、これが幸いして綿織物の生産地インドで勢力を伸ばし、同じくインドに拠点を置いたフランスと覇権争いを繰り返す事になる。17世紀に主権国家を形成させたイギリスとフランスは、イギリスは立憲王政、フランスは絶対王政の違いはあったが、いずれも重商主義経済政策をとって植民地獲得に乗り出した。17世紀中頃からイギリス東インド会社とフランス東インド会社は直接的に抗争を開始する。その後、七年戦争、英仏植民地戦争、産業革命を経てイギリスが世界の盟主の座を勝ち取る事になる。

第一次世界大戦による総力戦はアメリカの参戦によりかろうじて勝利したものの、イギリスは疲弊、世界の盟主の座を徐々にアメリカに明け渡していくが、第一次世界大戦の結果として、イギリスは、フランスともども、それまでオスマン帝国の領土であった中東の支配権を手に入れるのである。

中東で一人当たりのGDPが日本(世界第27位)より上位なのは、カタール(世界第3位)、アラブ首長国連邦(世界第22位)、クウェート(世界第23位)、イスラエル(世界第25位)の4カ国であるが、その代表として、カタールの勉強をしておこう。カタールの場合、その現状を理解するには、どうしてもイギリスとの関係を理解しておかなければならない。もともとこのアラブという地域は、長い間オスマン帝国(トルコ)の支配下にあった。オスマン帝国とはどのような帝国であったのか? そのことと、そのオスマン帝国のアラブにおける権益をイギリスがどのような経緯によって獲得したのか、そのことを知らねばならない。それについては、次のような私の覚え書きがある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/igirisuno.pdf


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