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2015年9月 1日 (火)

山地拠点都市構想(その94)

山地拠点都市構想(その94)

第1章 山の魅力 第6節 町田 宗鳳の語る「山の魅力」(6)

京都の大文字焼きというのがあるが、あれは正式には「五山送り火」という。祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つである。この送り火としては東山如意ケ嶽の「大文字」がもっともよく知られ、それゆえ送り火の代名詞のごとくいわれているが、そのほかに金閣寺大北山(大文字山) の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、これらが、同夜相前 後して点火され、これを五山送り火とよんでいる。

 大文字に代表される送り火の起源についてそれぞれ俗説はあるものの不思議と確実なことはわかっていない。まず、送り火そのものは、ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事であるが、これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは室町から江戸時代以後のことであるといわれている。古くは旧暦7月16日の夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送るという風習を記した史料 がある。これに対して現在の五山の送り火は山において点火されるという精霊送りの形態をとっている。

なお、京都には、祇園の近くに「六道の辻」というところがある。御盆には、地元では「六道はん」といっているが、六道詣りという精霊迎えの行事が行なわれている。これは他に例を見ない京都らしいお盆の行事であるので、この際、紹介してきたい。随分昔に作ったホームページであるので、写真も悪い。その点、お許しいただきたい。「六道詣り」の雰囲気ぐらいは感じていただけるのではないかと思う。

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/6doutuji.pdf

お盆には先祖の「霊魂」は家に帰ってきて、家族に供養されて、ふたたび天空に帰って行くのである。お盆の供養というものはそういうものである。そんな迷信はごめんだという人は、よほど依怙地な人で、京都では多くの人がお盆の供養をする。全国各地で精霊流しが行われているけれど、これも先祖を家にお迎えして行うお盆の供養である。

日本人の「霊魂観」に関してもうひとつの霊を紹介しておきたい。それは山形の例である。山形の風土論や景観論を考えるとき、欠かせないのが端山・深山だ。山脈に連なる山々で里に近く、あまり高くもなく美しい山が端山と呼ばれ、里に住む人々に親しまれていた。端山の奥にさらに高く聳えるのが深山である。この重なるように結び会う端山と深山の形が山形に住む人々に篤い信仰心を育んできたのである。人間にとって死は最大の関心事である。かつて端山の近くに住む里人も、死と死後の世界のことを葬送の中で想念したと思う。里人が死ぬとその屍は端山の麓に葬った。肉体が腐敗する頃、その人の魂は肉体を離れて美しい端山の頂きに登ると考えた。端山に登った霊は、残してきた子供や家族を山頂からじっと見守って、三十三年のあいだ頂きに止まるという。そしてさらに高い深山に登りそこから天のアノ世に行くと考えたという。天に昇った先祖の霊は、お正月にお彼岸にお盆にと年に数回里に帰り家族と交じり、死者と生者は永遠に関わり語り続けると考えるのである。それは、死はすべての終りではなく、コノ世のひとつの終りであるという。これは人生最大の苦である死を越える人間の叡智であると思う。端山・深山信仰の名残は県内各地にある。米沢地方の「羽山と吾妻山」、長井地方の「葉山と朝日岳」、上山地方の「葉山と蔵王山」、村山地方の「葉山と月山」、庄内地方のでは「羽黒山と月山」「葉山と麻耶山」などである。
山形の優れた山々の景観は、県民の心に深く影響し精神世界を育てた。このような精神世界こそ日本人の心の原風景でもあって、全国に共通する日本人の「霊魂観」を表している

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