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2015年9月 4日 (金)

道教の世界化について

道教の世界化について

国家権力者にしろ、地域の人にしろ、家族の中の人にしろ、自分の欲望のためにけしからんことをする人がいる。その結果、ひどい目を見るのは結局国民であったり、地域の人びとであったり、家族であったりする。特に可哀相なのは、いつも女性であり子供だ。

その場合、自分の欲望、エゴのために人をいじめたり、悪事を働く人がいるのをどうすれば良いか?国連でも救済できないし、企業でも救済できないのが現実である。政治や経済ではどうにもならないということだ。残るは宗教だが、キリスト教にもそんな力はない。私が思うに、将来、道教にはその可能性がある。将来、道教が「宇宙のリズム」を信じることができるような宗教になれば、道教は宮沢賢治のような人を増やすことができるのではないか?

宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

この詩は、宮沢賢治が亡くなった後に発見された。人に読まれることを考えずに、晩年、病床で書いた自分に向けてのメモだったようである。「生きること」への思いを言葉にした、力強い詩ではないか。

老子哲学を人類哲学にどうしても発展させなければならない。地域コミュニティを中心に生活文化としての道教が広まればいちばん良いが、そうでなくても、独りでも二人でも地域コミュニティに布教のための道士がいれば、その地域には慈愛の心を持った人が出てくるだろう。
そして、やがては宮沢賢治のような人が出てくる筈だ。

エンデがいうように、大事なのは国の責務がどうのこうのではなく、庶民の日々の生活における意識である。私の考えでは、生活文化を育てるにはどうしても宗教の力ないしは宮沢賢治のような人の力が必要である。そのことを強く主張できるのは老子哲学ではないか? 老子は「無為の政治」を説いている。それはエンデと同じ考えであるが、今の老子には地域コミュニティの重要性の認識が欠けている。今後、バウマンの思想なども吸収して、老子哲学の世界化を図らなければならない。そしてそれとともに、道教の世界化を図らなければならない。

しかし、道教世界化の道は遥かに遠い! しかし、やらねばならない。中国はその道を歩み始めて欲しい。中国に「国際道教フォーラム」ができたことでもあるし、それが私の習近平に対する期待だ!

なお、「老子の哲学」と「習近平に期待するもの」という私の論文については、次を是非ご覧いただきたい。
「老子の哲学」 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rousitetu.pdf
「習近平に期待するもの」 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/syuukin.pdf

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