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2015年8月31日 (月)

リズム論(新たな勉強の始まり)

リズム論・・新たな勉強の始まり

私は論文「日本的精神と中村雄二郎のリズム論」の「はじめに」で次のように述べた。すなわち、

『 佐伯啓思の主張する「シヴィック・リベラリズム」、すなわち「共和国の精神」というものを十分認識した上で、私たち日本人は、日本的精神を外国人に語らねばならないと思う。私たちは、歴史的にずっと仏教や神道を信仰してきて、日本的精神を作ってきたのだ。では、日本的精神とは何か? そこが問題の核心である。日本的精神をひと言で言えば、「脱主体化」、すなわち自己主張しないことである。それが何故立派なことであるのか、西欧人には理解されなくとも、今後は、私たち日本人はそれを十分理解した上で、西欧人に判ってもらう努力をする必要がある。』

『 この「日本的精神」に関する哲学としては、佐伯啓思のいうとおりかっての西田幾多郎の「無の思想」があるが、比較的最近のものとしては、私の尊敬する中村雄二郎の「リズム論」がある。佐伯啓思や呉善花は中村雄二郎の「リズム論」にはまったく触れていないので、私は、以下において中村雄二郎の「リズム論」について詳しく述べていきたい。そこでは、中村雄二郎の「リズム論」の世界性を述べることになる。また、佐伯啓思が「日本的精神」との関連で触れている「無」についても、その世界性を述べるとともに、中村雄二郎の「リズム論」と西田幾多郎の「無の思想」との繋がりを明らかにするつもりだ。』・・・と。

私は第3章で「無」について述べた。 無の哲学は西洋ではまったくの未熟であると言っていい。それに対して日本では、西田幾多郎によって無の哲学が基礎づけられたし、今後、いくつかの課題を解決して、西洋に通用する無の哲学が完成する可能性は高い。無の哲学こそこれからの世界にあるべき哲学であると思う。

私たち日本人は、リズム論に基づく生活を続けながら日本的精神を生き、かつ、同時に、「哲学的宗教」である道教にエールを送りながら「日中友好親善」を深めて行かなければならないのではないか。ヨーロッパアメリカ文明は、キリスト教も含めて終焉を迎えている。これからあるべき「哲学的宗教」は多神教でなければ世界はやって行けないと思う。日本の宗教は多神教だが、残念ながら哲学の裏打ちがない。中村雄二郎のリズム論はその端(はし)りでしかない。したがって、世界の人びとに日本人の宗教観を理解してもらうことは難しい。「哲学的宗教」である道教は世界最強の宗教である。「哲学的宗教」である道教にエールを送りながら、私たちのやれることをやって行こう。これから大事なことは、中村雄二郎のリズム論を発展させることである。そのためには、多くの人が「野生の思考」に関係のある思想や哲学を書いていく必要がある。

私は、今後多くの人によって「野生の思考」に関係のある思想や哲学が書かれることを大いに期待しながら、第2章第3節に、「野生の思考」と関係のある思想や哲学をピックアップしておいた。それらは、これからあるべき哲学を見据えての私の勉強の成果であるが、こういった勉強はこれからも引き続き続けて行きたいと思う。それらの成果は以下のとおりである。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/aratana.pdf

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