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2015年8月 7日 (金)

山地拠点都市構想(その92)

山地拠点都市構想(その92)

第1章 山の魅力 第6節 町田 宗鳳の語る「山の魅力」(4)

10、また海に出た漁師が、山の頂や、山腹に突き出る巨岩などをたよりに、航行距離や方向をさだめる習慣を持っていたことも、海と山を一体化した信仰が生まれる原因のひとつとなった。(中略)熊野3600峰のヘソにあたる位置に玉置(たまき)神社があるが、そこにも大漁旗が奉納されている。この神社には、今でも神代杉などの古木が鬱蒼と茂っており、本州に残る秘境のひつと言って良いかもしれない。しかし、玉置山は、その頂上から天気の良い日だけ、熊野灘がかろじて見えるほど、海から離れている。それでも熊野の漁民たちは、玉置山をおのが霊山として拝んだのである。(中略)平安時代から皇族や公家が足しげく参詣した熊野三山も、もともとは山の民が崇めた山の神、海の民が崇めた海の神、農民が崇めた田のが出会い、時には争い、時には妥協し、やがて一つの合体神として祀られるようになった長い歴史があると受け止めるべきであろう。

11、神の山地から平地への下降、山の神から田の神への移行の過程で登場したのが、マレビト信仰である。マレビトは年に一度、人里に出現するが、そのとき秋田のナマハゲのようにいかにもグロテスクな姿をして現れるのは、それが古代社会の動物神の名残を留めているからである。それは、人間の前に現れるカムイが、必ずクマというハヨクペ(仮装)を必要としているとされるアイヌの信仰と同じものである。沖縄諸島には来方神としてのアカマタ・クロマタを迎える儀式が伝わっている。

12、日本に現存する祭りの大半は、稲作農耕民による田の神にまつわるものであると考えて良いが、その中にも注意深く観察していけば、田の神以前の祭祀の要素が残っている
ものが、結構多い。その一つが、どこの神社の祭りにも見られる神輿かつぎである。初期の田の神は、おとなしく社(やしろ)に鎮座する神ではなかった。早春に山から麓に下りてきて、里人のために稲の生育と収穫を見守り、晩秋になって用が済めば、ふたたび「見るなの座敷」である山の懐深くに潜む。山から平地、平地から山へ旅するからこそ、マレビトである神は霊験を持つのであり、山という秘密の聖空間から切り離されるわけにはいかなかった。神は年に一度、わが故郷に旅することによって、その霊験をあらたかなものにすることができるのである。(中略)現代の祭りでも、神輿が本社からお旅所まで担がれていくのは、明らかに「旅する神」の名残であり、お旅所は神々の原郷である山、あるいはそこに設けられていた山宮に相当するのである。

13、神輿の移動だけでなく、金田一京助が紹介している山里の祭りにも、山の神と田の神とかかわりが明白にうかがえる。それは金田一の故郷である岩手県盛岡市郊外の「春田打(はつたうち)」という田の舞である。若い女性の面をかぶった男性が、田植えから稲刈りまでの所作を舞ってみせるのだが、土壇場になって醜悪な面にかぶり替え、舞を終えるという。それについて、金田一は次のようにコメントしている。「この最後の瞬間の醜い女の面こそは、私の地方の山の神で、つまり半年の田の仕事が済むと、若い美しい里の神が、山へ上がって、あの山の神になるという舞の意味であった。春から夏にかけての、生育の季節の神が若い女の神で、秋から冬へかけて山仕事になる季節の神が、年上のこの意地悪い醜い顔した山の神なのである。

14、サルタヒコが、天つ神として降臨してくるニニギノミコトの道案内をするというストーリーは、国つ神と天つ神との間に講話が成立していることを、神話の読者に印象づけるために作られたのではないか。明治維新の後、国家権力が神道を政治化してしまったことによる大きな過ちは、本来、山岳おはじめとする自然との深いかかわりの中で有機的な性格を帯びていた国つ神の存在意義を否定し、神ながらの道を天つ神の独壇場としてしまったことである。そのため、古代から連綿と続いてきた神々の細胞分裂が完全に停止し、国家と天皇のみに集約される無機的な神々のイメージが、日本神道に定着することとなった。そのように考えれば、「神は死んだ」というニーチェの言葉を借りてきて、明治から終戦までの国家神道台頭の時期に当てはめて良いのかもしれない。粘菌の研究で世界に名を馳せた啓蒙的なエコロジスト南方熊楠が、政府による神社合祀政策に猛烈に反対したのは、その結果、鎮守の森の生態系が破壊されることを恐れたからだとされているが、ほんとうは天つ神と国つ神の間に存在していた絶妙のバランスが壊れてしまうことを、直感的に理解したからではなかろうか。

15、大和族と出雲族の間に、一種の平和協定が成立し、それぞれ面目を保ちながら割拠したとしても、すべての先住民が新興の国家権力に対して帰順を示した訳ではない。人跡未踏の山間部に逃げ込んだ弱小部族は、その後どうなのであろうか。まつろわぬ人びとは、国つ神になりそこねて、鬼になったのである。日本人が抱いている鬼のイメージは、
頭に角を持った赤鬼青鬼であるが、あれは土着の民の不覊(ふき)の精神、あるいは反逆性を誇張したものかもしれない。鬼といえば、丹波大江山が有名であるが、この山の鬼も山城の土地から追放されてしまった先住民の難民化した姿であろう。(中略)特に東北地方に鬼伝説が多いことも、近畿地方から見れば僻地である東北の山々は大和朝廷の影響が及びにくく、蝦夷(えみし)と呼ばれる先住民が分散して生き残っていたからである。(中略)内藤正敏氏の「鬼の風景」という論文に、津軽富士として有名な岩木山(1625m)の鬼伝説が紹介されている。江戸時代に全国を旅していた菅江真澄(すがえますみ)の「外浜奇勝(そとがはまきしょう)」にも、岩木山の鬼のことがふれられている。(中略)岩木山はガスが発生しやすく、頂上が見えることがまれであるから、鬼伝説誕生の地として、いかにも似つかわしい。

16、いわゆる国見山というのは、権力者が登り、そこから見渡す限りの土地を自分の国と見定め、国誉めの言葉を称えるなどの宗教的儀礼を行った霊山のことである。

17、天つ神を迎える霊的空間である猟んな神奈備山は、その歴史をめぐって神話の果たす役割が非常に大きいことが特徴であり、エリアーデの考えを借りれば、天・地・人を繋ぐ「宇宙軸」なのである。日本を代表する神奈備山となれば、純白の冠をかぶった富士山をおいてないだろう。この山は高さだけでなく、日本一秀麗な姿を持つ山でもあり、葛飾北斎から梅原龍三郎まで、富士山は日本絵画史の中でもっとも頻度の高い画題のひとつとなってきた。(中略)日本中にある霊山は、いずれも神々の臨在を人びとに強く感じさせる霊的な場所と考えて良いが、富士山はその代表格である。神の「いのち」を目の当たりにする神秘的空間として、浮き世暮らしをする麓の人間が、今も昔も不思議な思いで仰ぎ見てきたわけである。(中略)実は富士山が生ける神のごとく、人びとの尊崇の対象となってきた背景には、それが最近まで活火山であったという事実がある。富士山が休火山になりすまし、人間の接近を許すようになったのは、比較的最近のことである。有史以来、18回も噴火を繰り返し、平生でも空高く噴煙を上げ続けて富士山に対して、日本人が冒しがたい畏怖の念を抱いていた時間の方がはるかに長いのである。(中略)富士山は不死山にも通じるが、人びとがこの山に抱く感情の深層には、不老長寿への本能的ともいえる願望が込められているのである。いつも変わらずその毅然とした姿を仰ぐ者は、そこに神の無限生命を感じ取ってきたにちがいない。(中略)それにしても富士山頂からご来光を一目見ようと、蟻の行列のごとく夜を徹して懸命に登ってくる老若男女を見ていると、この山の存在が日本人の深層心理にどれだけ大きな刻印を押してきたか、改めて思い知らされるのである。


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