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2015年6月14日 (日)

山地拠点都市構想(その87)

山地拠点都市構想(その87)

第1章 山の魅力 第5節 思い出の山さまざま(8)

 そうなのだ。身体を動かすことはそのまま新しい世界を知ることだ。私たちは、新しい世界を知るためには、ともかく身体を動かすことを考えねばなら ない。本を読んだりテレビを見ることも必要だけれど、私たちはもっと身体を動かすことを考えなければならない。そう考えれば、私たちの学習プログラムは無 限にある。私たちは、養老孟司が言うように、「身体と脳の学習プログラム」をいろいろとつくり出さなければならない。それがこれからの教育の基本だ。私たちは、「場所のもつリズム性」に 着目して、さまざまな舞台装置をつくっていかなければならない。私たちは、「場所のもつリズム性」に着目して、さまざまな仕掛けをしていかなければならな いのだ。それが「山地拠点構想」だ。新しい川づくりだ。新しい森づくりだ。新しい村づくりだ。いろんな人たちの出合いの場づくりだ。それがこの本のねらいである。
私は京都大学の山岳部に入って最初に京都の大原にある金比羅という岩場で岩登りの手ほどきを受けた。 http://4travel.jp/traveler/aoitomo/album/10718677/

その後いろんな岩場で岩登りの訓練を受けた。その中で、兵庫県のどこであったかその場所を思い出せないが、川に面した岩場だった。夜はその対岸の河原に寝っころがってヴィバーク(野宿)をした。私たちは、テントがなくとも、大きなビニールシートがあれば寝袋一つでビバークができる。天候の如何に関わらず・・・だ。天気のいい日は、夜空を見ながら寝るのは実に楽しい。そのときのことである。私たちは蛍が乱舞するのを見た。見たのだ。その後私はいろんなところで、蛍を鑑賞したが、あの河原で見た蛍の乱舞ほど見事なものを見たことがない。今もなおあのときに風景が目にこびりついて離れない。
そこで私は考えるのだが、里を流れる川の河原をベースにして子供たちのための「身体と脳の学習プログラム」を作りたいということと、できれば蛍の乱舞するような水環境を取り戻したいということだ。http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/satokawa.pdf

 さて、「奥」とか「穴」とか「洞窟」というのは、ひとつの「シニフィエ」であって、自然の霊力を感じることのできる特殊な空間である。そこでは、南無妙法蓮華経を唱えても良いし、自分の好きな真言を唱えても良い。私の言う「エイトス・アンドロ・ポイダイモーン」という呪文でも良い。そうすることによって、その空間には自然の霊力が満ちてくる。だいたい仏間はそう空間になっているし、神社仏閣はそういう空間のことだ。宗教とはまったく離れて、住居の中にあって良いし、オフィスビルの中にあっても良い。そこで私は、その考えを延長して、地域構造を構想したい。上記のようなイメージの里の川の河原はそういう場所になりうる。

http://www.d1.dion.ne.jp/~k_nozaki/hotaru.htm

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