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2015年6月 1日 (月)

山地拠点都市構想(その85)

山地拠点都市構想(その85)

第1章 山の魅力 第5節 思い出の山さまざま(6)

 薬師寺さんの話しを想い出しながら私が思うのは、「今西錦司の黒もじの杖」つまり直感についてだ。今西錦司さんは、直感力について「山に登ると、目、耳、鼻など 五感が鋭くなる。山という別世界、いわば非日常の世界に入ったとき、人間は日常生活では緊張してない部分が緊張し、その世界で働かなければならないように 五感が働いてくれるものだ。今、日本ならずアメリカ辺りでも座禅やヨガが流行しているが、これも非日常の世界に触れて自分の体と心を研ぎ澄ますという意味 で、山の世界に通じるところがあると思う。」こう言っておられる。私も、山のお蔭だろう、割に直感が働く方かも知れない。写真を取るとか、植物採取をする とか、バードウオッチングをするのもいいとは思うけれど、ともかく五感全体を働かし身体全体で自然を感じるという行き方のほうが私は好きだ。そんな山登り が好きなのだ。これからもせっせと奥秩父の山に登ってせいぜい五感を磨きたいと思っている。

 五感を磨く事のできる「身体と脳の学習プログラム」というのが、子供の教育を考える場合の基本であると思う。

 かって、養老孟司(ようろうたけし)の「バカの壁」(2003年4月、新潮社)という本がベストセラーになったことがある。彼は、かって永く東大の解剖学の 教授をしていて、まあいうなれば脳の専門家である。「唯脳論」などという本も書いているのだが、彼のいうことには吃驚することが多く、目からウロコが落ち るようなことが多い。「バカの壁」もそうだ。例えば、『 現状は、NHKの「公平、客観、中立」に代表されるように、あちこちで一神教が進んでいる。それが正 しいかのような風潮が中心になっている状況は非常に心配です。安易に「わかる」、「話せばわかる」、「絶対の真理がある」などと思ってしまう姿勢、そこか ら一元論に落ちていくのは、すぐです。一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違 う立場のことは見えなくなる。当然、話は通じなくなるのです。』・・・・などと言われると、もう吃驚してしまう。しかし、養老孟司の言うことは真実である と思う。科学的であると思う。
 さて、 神話を語るには「場所の持つリズム性」が重要である。宮沢賢治の童話や草野心平の詩を語るには「場所の持つリズム性」が重要である。私たちは、そういう 「場所の持つリズム性」に着目すべきであって、子供や若者はそういう「場所」の発するリズムに耳を傾けなければならないのである。「場所」の発するリズ ム、それは風土の発するリズムということかもしれないが、そういうリズムに耳を傾けることによって具体性の世界と深く結び付いた感性というものが養われる のである。そのために「山地拠点構想」を提唱したいと思っているのだが、ここでは次にその補強として養老孟司の身体論を紹介しておきたい。



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