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2015年5月22日 (金)

秩父神社


 2007年頃の「劇場国家にっぽん」の中に「和のスピリット」というのがある。その頃私は、中沢新一の「精霊の王」(2003年11月、講談社)を勉強しながら神のことを考えていた。「和のスピリット」という一連のページは、そのころ書いた私の記録であるが、今読み返してみると、説明不十分で解りにくところが多い。そこで、秩父神社のことを書くに当たって、少しその解説をしておきたい。
 「地域づくり」は「人づくり」であり「場所づくり」である。私が「劇場国家にっぽん」を提唱する所以の一つは、「場所づくり」において演出という ものが不可欠だからである。私は、ビジター産業を日本のリーディング産業にしたいと考えており、そういう立場からすると、「地域づくり」には「演劇性」が 必要であり、どうしても演出家の助けが必要だ。場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられることが肝要だ。例えば、日本的集落 の構成原理については園田稔の素晴らしい研究が あるが、「地域づくり」にあたっては、そういう学者の研究成果というものが訪れる観客に何となく感じられるような演出が望ましい。
すなわち、日本的集落 の構成原理に神社の存在があるが、それには古層の神が関わっている。それが日本の歴史と伝統文化だ。したがって、これからの地域づくりは、古層の神がその地域の発展にどう関係してきたのかを考える必要があるのである。
私は、『 考古学的な研究成果に よって、わが国の「歴史と伝統・文化」の実態が次第次第に明らかになってきており、そういった学問的研究成果にもとづいた「劇場性」というものがこれから の地域づくりの核心になっていくと思われる。』と書いたが、この部分について説明しておこう。旧石器時代または縄文時代の実態、それは日本の「歴史と伝統・文化」の実態ということだが、そういうものが 考古学的な研究成果によって、 次第次第に明らかになってきているので、それをこれからの地域づくりに生かさなければならないということなのである。それが私のいう「地域づくりの劇場性」ということである。
 そしてまた、「縄文との響き合い」とか「宇宙との響き合い」というものも「劇的空間」としては極めて大事である。きっと、そのような「地域づく り」は地域の人びとの流動的知性を養うに違いない。そして、そのことはまた、日本人の流動的知性を養うよすがとなろう。「和のスピリット」、すなわち古層の神が出現するところ、それは聖なる空間ということだが、そういう場所は「神との響き合い」のできる場所である。そのことを別の言葉で言うとすれば、「宇宙との響き合い」のできる貴重な空間で ある。
日本の神道の背景に古層の神、すなわち「和のスピリット」が存在する。これを知るということは、日本の「日本らしさ」を知るということであり、これからの観光の一つの目玉にもなる。また、私たち日本人にとっても何が日本らしさなのかを知ることは大事なことだ。日本らしさを知るということは、中沢新一の言う流動的知性を身につけることに繋がる。私は、日本らしさを知らずして流動的知性を身につけることはできないと思う。

「和のスピリット」という一連のページ の中で、かぐや姫物語についていろいろと書いたが、私は、かぐや姫物語をホト神様に関わる話として捉まえたのである。
ホト神様というのは何か非常に価値のあるものを生み出す霊力を持っている。かぐや姫がホト神様の象徴だとすれば、そういう霊力を持っている。私たちがそういう霊力の恵みを受けるためにはどうすれば良いか? 霊力の恵みを受けることはそう簡単にはなことではない、そういうことをかぐや姫物語は言っているのではないか? そういう霊力の根源は天上の世界にあるので、間違った方法でそういう霊力の恵みを受けようとしていても、そういう霊力、つまりかぐや姫は天上の世界へ帰っていってしまう。だから、彼女と結婚するには、天の神との繋をつけておかなければならない。すなわち、祈りの儀式が欠かせないのである。
武甲山は秩父神社のご神体である。皆さんはとんでもないと思われるかもしれないが、武甲山の神は私のいうホト神様である。これを説明するには大変で、老子の「玄牝の門(げんぴのもん)」の説明からしなければならない。
原始時代、女性は繁殖のシンボルとして信仰の対象にされていた。女性というものの観念、すなわち個々の女性ということではなく、繁殖のシンボルとしての女性は神であったのだ。したがって、そういう観念のもと、原始時代の人びとは、神に祈るということは繁殖を祈ることに他ならなかった。原始時代の人びとの感覚としては、神は繁殖を司るものであったのである。祈る対象はいろいろあったと思うが、それが石棒であっても柱であっても、またそれが霊山であっても、祈りとしては、繁殖を祈ったのである。神との繋がり、それが繁殖をもたらす。これは宇宙の真理である、というのが老子の「無為自然」の哲学てもあると私は考えている。
竜神とか「繁殖の神」とか諏訪の神とかマダラ神とか、いろいろな名で呼ぶけれど、それらは根源的には「玄牝の門(げんぴのもん)」であり、宇宙の真理を現わす神である。だから、私は、「表面的なものにとらわれずにその根にある根源的なものに意識を向けよ!」と言いたい。「玄牝の門(げんぴのもん)」はそれらの神の「後戸の神」なのである。

神の概念のなかった縄文時代、あったのは「祈り」。神の観念はあった。それが「古層の神」であるが、その神に繁殖を祈った。だから、「古層の神」とは「繁殖の神」という言い方がいちばん判りやすい。すべてのものがこの神の力によって生まれるのである。
なお、この「繁殖の神」、私は「ホト神様」と呼んでいるのだが、これについては電子書籍「女性礼賛」で縷々書いた。その第5章では、「和のスピリット」に関係して、かぐや姫物語をホト神様の話として紹介した。私の言いたいことの骨子は、祈りの儀式が欠かせないという「野生の思考」の重要性についてである。日本の霊山信仰には「野生の思考」が基になっている。私たち日本人は、「野生の思考」、つまり霊山信仰を忘れ去ってはならない。

秩父神社においては、ご神体が武甲山であり、霊山信仰の典型的なものであるが、その他にも今なお、妙見信仰など「古層の神」に対する信仰が息づいている。それをこの論文では説明した。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/titikou.pdf



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