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2015年5月 2日 (土)

山地拠点都市構想(その75)

山地拠点都市構想(その75) 第1章 山の魅力 私は、この「山地拠点都市構想」という論文で、「知恵のある国家」とは何かを論じながら、かって大平正芳が提唱した「田園都市構想」や竹下登が提唱した「ふるさと創成」に代る「山地拠点都市構想」を提唱しようとしている。これを国の指導的立場にあるリーダーのみならず、一般国民にもご理解いただくためには、まず山の魅力を感じてもらわねばならない。山には誰でも気軽に行ける里山と特別の人が行く奥山がある。奥山にはいわゆる霊山も含まれるが、里山と奥山、この二つの山にはそれぞれの魅力があるけれど、山ということで共通する部分も少なくない。「山の霊魂」という観点からは、里山も奥山も区別なく、「山の霊魂」という観点に立って、その共通する部分に注目すれば、それで充分である。かかる観点から、この章では、里山と奥山の区別をすることなく、ともかく「山の魅力」を語りたい。「山の魅力」について、まずは私の体験を紹介し、次いで町田宗鳳の語る山の魅力を紹介することとしたい。 第1節 オールランドな山登り・・・京大山岳部の思い出(その1)  山登りにもいろいろあって、京都大学の山岳部に入ったばかりの新人時代、私たちは、リーダーのデルファーこと高村さんや新人係のコッテこと松浦さ んなどからオールランドな山登りというものを教わった。岩登り、沢歩き、スキー登山あるいは春、夏、秋、冬ともかくオールランドに登りなさいということであった。ただ、登るべき岩場、沢などについては、訓練の場合は別として、いろいろ記録を調べ出来るだけ人の行っていないところを選んだ。いわゆる「初登山」だ。こういう行き方は、今西錦司、桑原武夫、西堀栄三郎、四手井綱彦、川喜多二郎、梅棹忠夫、藤平正夫(日本山岳会現会長)から続く伝統なのだろう。 朱雀高校山岳部時代の山登りとは当然様変わりして本格的なものになった訳だ。私は別段、これというほどの記録もないけれど、それでも先輩あるいは同僚のお蔭でそういう精神だけは身についたかもしれない。未知のものに対する挑戦の精神である。というと誠にキザに聞こえるけれど、それが今の実感である。どんな山登りでも、その時々において自分なりの新しい発見というものがある。しかし、「初登山」の場合、たとえそれがどんなにささやかなものであっても、自分たちだけが初めてそれを知ったという喜び、それは何事にも代え難い。  黒部渓谷の支流北又谷の完全遡行は二度目に成功した。二回とも松尾稔君(名古屋大学元総長)と一緒だったかと思う。北又谷には物凄い絶壁からなる瀞(とろ)があって、一回目はそこをどうしても通過できず、雨のため退却。二回目にアップザイレンが連続してできるところを捜し出して、何とかそこを通過することが出来た。誠に残念なことには、後輩が我々の記録をみてそのルートに入り、遭難死したが、そういう難所をやっとの思いで通過して見た「魚止めの滝」の景観は今でも目に焼き付いている。滝の高さは60~70mもあったろうか。滝の上は岩が削られて丸い窓のようになっている。その「丸窓」からほとばしる激流。どこまでも深い滝壺の色。回りに絶壁のいよいよ神秘的なその佇まい。忘れられない景観だ。佐渡から新潟に向かう連絡船から見た満月に映える「金波、銀波」を絵にしたような景色も忘れられない景色だが、やはり山には心に焼き付いた景色がいくつかあって、私の人生をそれだけ豊かにしているようだ。

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