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2015年4月21日 (火)

石棒と炉の祭祀

石棒と炉の祭祀

三峯神社の節分祭ごもっとも祭は非常に珍しい。三峯神社の節分祭のごもっとも様は石棒であり、三峯神社節分祭の枡と豆は炉である。男性のシンボル・石棒と女性のシンボル・炉は一対のものであり、それらが合体することによって、子供が生まれるし、大地の豊穣がもたらされる。縄文人は、男性のシンボル・石棒を天なる神、女性のシンボル・炉を地母神と考えて、石棒と炉という神様に対し祈りを捧げる祭祀を行ったのである。私は、 縄文時代特有の 石棒と炉は一体となったものを「ホト神様」と呼んでいるが、三峯神社のごもっとも様もホト神様である。

では、炭焼平と妙法が岳の磐座の私のホームページをご覧いただきたい。炭焼平で、縄文時代特有の「ホト神様」に対する祭祀が行われたらしいことを感じていただければ幸いである。それが、現在の三峰神社における「ごもっとも様」に繋がっている。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/mituiwaku.pdf

縄文時代特有の「ホト神様」に対する祭祀について、なるほどそういうものかと明確に判る遺跡として金生遺跡と矢瀬遺跡がある。縄文人が日常生活の中でどのような祭祀を行っていたのか、まず金生遺跡を見て見よう。金生遺跡は、富士眉月弧(ふじびげつこ)文化圏にあり、十文字峠の道や雲取山の道を通じて秩父と交流のあった地域である。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kiniseki.pdf

次に、縄文人は、全国的に、日常生活の中でどのような祭祀を行っていたのかを、代表的な例として、矢瀬遺跡の場合を見て見よう。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tanaba08.html

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