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2015年3月20日 (金)

熊のことは熊に訊け(その16 ヒグマの心)

熊のことは熊に訊け(その16ヒグマの心)

先に述べたように、岩井基樹は、「星野道夫の命を奪った出来事の本質を隅々まで洗い出し、そこから何かを学び取る事が、唯一彼の供養になると信ずる。」と言い、ヒグマの心について思索を深めている。まずは「 熊のことは熊に訊け」という著書の中で彼の述べている要点をここに紹介しておきたい。彼は次のように述べている。すなわち

1、キツネにしろヒグマにしろイヌにしろ、見れば見るほどある部分が人間的で、ヒトとのさまざまな行動に共通点を見出すことができる。実際に人間が持ち、人間の行動力の原動力となっている喜怒哀楽、好奇心、不安、安心、恐れ、自信、信頼、切迫、焦りなどのさまざまな感情を、特にヒトやヒグマやイヌが色濃く持っているのである。

2、心というものの実態が今なお私にはよく判っていない。今の関心はクマの心だ。

3、心の作られ方や動きには、一定の法則めいたものがある。ヒトにもクマにもある。ヒグマを知るというのは、その生理・身体特性に加え、心のシステムを読み解いてゆくことではないだろうか。

4、ヒグマ全体の学習・性格・戦略に関しては、私個人は発達心理学のカテゴリーである児童心理学が非常に参考になると感じている。もともと心理学が生理学・動物行動学と重なりながら発達してきた経緯を持つので、現在細分化・専門化した心理学の一部を逆に動物の行動に当てはめて考えるのは、さほど無理のないことではないかと思う。

岩井基樹は、「心というものの実態が今なお私にはよく判っていない。」と言っているが、ヒグマの学習・行動との関係からヒグマの心をつかみ取ろうとしているので、心の実態がよく判っているらしい。彼の理解は正しいと思う。

では、この際、私の考えを参考に供しておきたい。

記憶とは、自分でいろんな人の話を聞いたり自分なりにいろいろ考えることもそうであるが、その他に体験による記憶がある。すなわち、記憶とは、体験のことである。 記憶や意識というもの、そして心というものは、物理現象以外の何ものでもない。ということは、体験というものがすべての始まりであるということだ。胎芽時代の体験、胎児時代の体験、幼児時代の体験、子供時代の体験、青年時代の体験、壮年時代の体験、老年時代の体験それぞれが大事である。それぞれの体験によって「心」というものが形成されて育っていく。はじめから「心」というものがある訳ではない。

私は「心とは何か?」というテーマで、最新の量子力学を少し勉強してことがある。それをこの際紹介すれば、
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/bunhohitu1.pdf
のペーパーである。

この内容自体私にとってなかなか難しいものであるが、結論としては、心の実態を科学的に言えば、上記のようなことではなかろかと思う。岩井基樹の理解は正しいと思う。

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