« 熊のことは熊に訊け(その10ヒグマの食物②) | トップページ | 神秘の熊スピリットベア »

2015年2月10日 (火)

山地拠点都市構想(その72)

山地拠点都市構想(その72)
第3章 知恵のある国家とは?
第3節 佐伯啓思のヴィジョン

それでは佐伯啓思のヴィジョンに移ろう。私の尊敬する佐伯啓思が書いた「大転換・・脱成長社会へ」(2009年3月、NHK出版株式会社)は、これからの日本が進むべき道を指し示す素晴らしい本である。今日、世界経済は大きな転換期にある。要請されていることは、ただ景気回復だけではなく、価値観の大転換なのである。佐伯啓思は、文明の破綻としての経済危機を読み解き、今必要な「新たな社会像」を指し示している。浜矩子は、アベノミクスを「浦島太郎の経済学」と断じたが、彼女の言いたいことはもっともである。私は、今のデフレを一日も速く脱却することが緊吃(きんきつ)の課題であり、安倍総理のいわゆるアベノミクスを高く評価しているが、浜矩子の言わんとするところもよく判る。彼女は、日本のような世界の最先端をゆく成熟社会では、格差是正が重要だし、利他的な生き方を追求しなければならないと考えているようだ。しかし、格差問題も利他的な生き方の問題も市場経済ではそれを実現することはむつかしい。資本主義経済というか市場経済というか、今までの経済ではやっていけないのだ。今の日本社会のように世界の最先端を走っている「成熟社会」では「知恵のある国家」を目指さなければならない。佐伯啓思もそう考えている。以下、佐伯啓思の「大転換・・脱成長社会へ」の核心部分を紹介しておきたい。

1、大量生産・大量消費によって、資源をふんだんに投入することで成長を実現するとい
う近代社会の産業主義は限界に達している。ひとつは、しばしば論じられるように、資源
の制約と環境破壊によるものであるが、もうひとつの理由はより内在的なものである。と
りわけ、資本主義という「最先端部分」で大きな利益をあげつつ欲望を無限拡大するシス
テムは、どうしても先進国では活力を失ってゆく。人びとが真に欲望するものはそれほど
多くはない。そうだとすれば、「最先端部分」で新たな新結合を生み出し、新商品と市場
を開拓するコストを回収するだけの十分な需要を見出すことはますます難しくなってゆく
だろうからである。

2、もはや「成長中心主義」「競争中心主義」の社会ではあり得ない。いやおうなく「脱
成長社会」へと推移していかなければならないのである。「豊かな社会」において必要な
ものは、まずは「社会の基盤」の整備であり、よりよい質をもった生活環境の確保であ
り、創造的な文化へのまなざしであろう。ケインズが述べたように、「豊かな社会」にお
いては、人びとは、もっと「美的」で「文化」的な生活を望み、ここにおいて本当に、時
間をどのように使うかという問題に直面するのである。だからこそ、教育や文化、メディ
アの質、多様なコミュニティ形成、人間の間の信頼形成、都市や住環境の整備、医療など
が公共計画の焦点になってくるのだ。

3、今後の日本はどのような位置に立つべきなのか。何をなすべきなのか。ひとつの答え
は明確である。より大胆に徹底した「構造改革」を推進し、グローバルな市場競争のなか
で、アメリカや中国と対等な競争力を持ち、新たな経済成長を可能とする経済大国を再生
させる、という方向である。しかし、国民経済全体にブローバルな競争主義を適用するの
はすでに無理なことであろう。要請されていることは、ただ景気回復だけでなく、価値観
の大転換なのである。このことはまた、「豊かさ」の意味を改めて検討することを要請し
ている。

4、日本は中国ともアメリカとも違っている。ロシアともインドとも違っている。明治以
降の近代化の中で、西欧的な政治経済思想にもとづいた西欧的システムと日本独特の文化
や社会構造にもとづいたシステムとを融合させた形で、独自の「日本型システム」を作り
出してきた。これは政治においても経済においてもそうなのである。それを急激にグロー
バル・スタンダードな市場競争モデルに変形することは無理なのである。そもそもグロー
バル・スタンダードなどというものが本当に存在するのかどうか疑ってかかる必要がある
のではなかろうか。人口減少社会であり、すでにそれなりの「豊かさ」を達成した日本の
課題は、これから変則的な資本主義化を目指す中国とはまったく異なっていることは、と
りわけ強調しておかなければならない。その中国を牽制して世界の中心であり続けようと
するアメリカとも、また違っているのである。その日本がやるべき転換とは何なのか。こ
こで私が述べている「脱成長社会」というものは、けっして「消極的なもの」でもなけれ
ば「座して死を待つ」といったようなものでもない。むしろ、たいへん困難で、極めて
「積極的な道」だと言いたい。しかし、先進国が、このグローバルな大競争時代に、真に
破局を避けようとすれば、本当はこの方向しかないであろう。資源や食料、市場、資本を
めぐるグローバルな確執のあとに来るものは、「脱成長社会」への道でしかないであろ
う。1930年代の経験が示唆するものは、過剰なまでの生産力を生み出してしまった資
本主義が果てしないグローバル競争にはまり込んだ帰結はたいへん悲惨なものだった、と
いうことなのである。それを避けるには、いずれ「脱成長」の道を模索して、グローバル
な競争を適切に管理してゆくほかない。これは、今すぐ可能な転換ではない。しかし、そ
のための準備はすぐに始めるべきである。そして、現在の経済危機はその絶好の機会とい
うべきなのである。景気対策は必要である。大規模な財政出動も必要である。しかし、そ
れらは、来るべき「脱成長社会」の新たな「豊かさ」へ向けた準備でなければならない。

5、その具体的なプログラムは本書の関心事ではないのだが、いくつかの基本的な論点や
方向は明らかだと思われる。次にそのいくつかを列挙しておこう。

① 基本的には「社会」の再建が急務である。より具体的には、医療の質・量の充実と、医療の効率的で公正なシステムを構築すること。さらには、たとえばガンや重要な感染病などの先端的で大規模な研究機関の設置。

② これも「社会」の再建としての地方の中核都市の整備、地域のコミュニティの再建、日本的経営や長期的な雇用慣行の再構築。日本的経営の最大の長所は、信頼を基礎にした組織づくりにあった。日本経済の成功のひとつの理由が「組織」づくりにあったとすれば、もう一度、新たに日本的経営システムを再構築すべきである。

③ 自由主義か保護主義かという二項対立はあまり意味がない。過度な規制緩和による自由競争主義が大きな問題を生み出した以上、今後の世界は、自由貿易の建前を唱えつつ、保護主義を取り込むことになろう。すでにその兆候は各国で見られている。広くは自由経済の枠組みの中で、領域によっては保護主義や管理貿易を持ち込むことを躊躇すべきではない。

④ 基本的な生活物資の自給体制へ向けて、食料・自然資源・エネルギーの安定確保を戦略的に目指すべきである。そのための部分的な産業保護も経済ナショナリズムの当然の発現である。

⑤ 京都議定書の枠組みをベースにした環境戦略によって世界の過度な開発的競争を抑制すべきであろう。同時にそのことは、日本自身がある程度、環境立国を目指すことになる。

⑥ 都市環境の整備と住宅政策、さらには、高齢化社会に向けた住宅環境、公共交通システムの構築。

⑦ 確かな判断力と総合的な知識をもった人材教育。

6、日本は「脱成長社会」へのモデルを世界に提示すべきである。日本こそがその資格を持ち、実際、そうすべきなのである。この資源や市場をめぐる大国主義的なグローバル競争の中では、むしろそのことこそが日本の国益でもある。

« 熊のことは熊に訊け(その10ヒグマの食物②) | トップページ | 神秘の熊スピリットベア »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/58883051

この記事へのトラックバック一覧です: 山地拠点都市構想(その72):

« 熊のことは熊に訊け(その10ヒグマの食物②) | トップページ | 神秘の熊スピリットベア »