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2015年1月 5日 (月)

熊祭り

熊祭り

数多い祭りの中で何故熊祭りが最高の祭なのか?

ヒグマは日本では最強最大の獣(けもの)で、アイヌがカムイ(神)と崇(あが)めていたが、確かに山で見るヒグマは威風堂々としていて、見るものをして畏敬を感じさせずにおかない。まさに「緊張感ある自然」を創出している野生動物である。
アイヌは多神信仰でいろいろな守護神支配神の他に、地上の自然物も総て天上に住む神々が、アイヌに贈り物を届けに訪れた仮の姿(化身)と信じていた。神々は普段は天上の神の国(カムイモシリ)でアイヌと同じ姿で、同じような生活していると考えていた。したがって、神の化身はヒグマに限らないのではあるが、ヒグマは、威風堂々としていて、見るものをして畏敬を感じさせずにおかない。そこで、アイヌは、ヒグマの霊送りの儀式(イヨマンテ)にもっとも力を入れたのである。

現在日本で行われている祭のほとんどは神社の祭である。そしてその神社では、神像あるいは神の使いであるキツネやオオカミが祀られている場合のあるが、多くの場合、鏡であったり記紀に登場する神々である。岩や山や川や巨樹がご神体になっている場合もないではない。アイヌの場合は、熊やシマフクロウやサケが神の使いとして祀られ、霊送りの祭り(イヨマンテ)が行われている。これはきわめて注目すべきことで、私は、「神とのインターフェース」という点でもっとも優れたものであると思う。イヨマンテは、熊やシマフクロウやサケが現存する野生生物であるという点でオオカミの場合と異なるし、霊送りの祭りが再生の祭りであるという点でキツネの場合と異なる。イヨマンテは、熊やシマフクロウやサケが再び自分らの地域にやってくることを願う、つまり自分らの地域が自然豊かな幸(さち)多い地域であることを願う祭りであるということだ。

これからの時代は、世界的に見て、自然再認識の時代であると思う。だとすれば、イヨマンテは、世界的に見て、これからの時代を切り開く価値の高い祭りである。私はそう考える次第である。しかし、今ここで強調したいのは、さらにその先の思想として、イヨマンテの中でも、熊祭りが最高の祭りであるということだ。それは何故か?それはヒグマの特性というか本質による。人との響き合い、ふれ合い、コミュニケーションという点でいえば、岩井基樹が「ヒグマのことはヒグマに訊け」(つりびと社)の中で縷々述べているように、ヒグマは安全距離について教育することが可能だし、その安全距離さえ維持してさえおれば、心ゆくまでヒグマの生態を観察することができる。自然の中におけるヒグマのさまざまな活動にある種の感動を覚える。その感動が、共生の原理を悟る道を開いてくれるのだ。共生の原理を哲学として表現したものが梅原猛のいう「人類哲学」であるし、共生の原理を文学として表現したものが宮沢賢治の一連の童話である。そして、そういった共生の原理を日常生活の感性として育てていったのがアイヌの人びとである。

アイヌの人びとは、ウソをつかないし、友誼を重んじ、夫婦の情もこまやかである。一般の日本人と違って、アイヌの人びとはよほど上等にできている。司馬遼太郎はその著「菜の花の沖」でそのことに触れているが、私もそう思う。アイヌの人びとは共生の原理を生き、そのために行っているのが熊祭りである。ヒグマは共生のシンボルだ。私たちは、自然の中におけるヒグマの生態を知れば知るほど、ヒグマとの共生に憧れるし、自然との共生に憧れるのである。安全距離を保ちながら、心ゆくまでヒグマの生態を観察したいものだ。多くの人びとは無意識のうちにそう感じている。岩井基樹は「熊のことは熊に訊け」(つりびと社)の中でそう言っているのである。

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