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2015年1月 5日 (月)

山地拠点都市構想(その67)

山地拠点都市構想(その67)
第3章 知恵のある国家とは?
第2節 教育について
2、「勿体ない」の哲学
(2)モノ

次に、民芸についてであるが、民芸については、次のような素晴らしいホームページがある。まずそれを紹介しておきたい。
http://nihon-mingeikyoukai.jp/society/what_index.html

これをもとに、「民芸品の持つ現代的価値」に触れておきたい。「モノ」というものの概念に関連しているからである。
「民藝運動の父」と呼ばれる柳宗悦は、1913年(大正2)に東京帝国大学哲学科を卒業。このころより、朋友バーナード・リーチ(イギリスの陶芸家)の導きによってイギリス・ロマン主義期の神秘的宗教詩人で画家でもあったウィリアム・ブレイクの思想に傾倒し研究を深める。みずからの「直観」を重視するブレイクの思想は柳に大きな影響を与え、芸術と宗教に立脚する独自な柳思想の基礎ともなった。柳は、1916年(大正5)以降たびたび朝鮮半島に渡る。そこで柳の心をとらえたものは、仏像や陶磁器などのすぐれた造形美術の世界であった。そして、その美しさに魅了された柳は、それを生み出した朝鮮の人々に対し、かぎりない敬愛の心を寄せることとなる。

柳は、日本の朝鮮政策を批判する文章を発表する一方、1924年(大正13)には、日本民藝館の原点とでもいうべき「朝鮮民族美術館」をソウルに開設す る。そこに陳列された品物の多くは李朝時代の無名の職人によって作られた民衆の日用雑器で、それまで誰ひとりその美的価値を顧みるものはいなかった。しか し、柳はその美をいちはやく評価し、民衆の生活に厚く交わる工芸品のなかに、驚くべき美の姿があることを発見したのであった。
李朝工芸との出合いによって開眼された柳の目は、自国日本へと向けられていく。まず、柳の目を引きつけたものは、木喰上人という遊行僧の手になる木彫仏であった。
木喰仏と呼ばれるこの江戸時代の民間仏の発見をひとつの契機として、柳の目は民衆の伝統的生活のなかに深く注がれ、そこに息づくすぐれた工芸品の数々を発見していった。
民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界。その価値を人々に紹介しようと、「民藝」という言葉 を作ったのは1925年(大正14)のことであった。
なぜ、無名の 職人のつくった「用いるための器物」がかくまで美しくなるのか。柳はそれを「信と美」の深い結びつきの結果であるとし、これもまた、凡夫[ぼんぷ]も救いからもらさぬ仏の力、すなわち他力[たりき]宗の説く阿弥陀仏の本願の力の恩恵に他ならないと解したのである。
晩年には、篤い信心を身につけた他力宗の平信徒・妙好人の研究に入り、他力道の深い恵みの世界をさらに探った。そして、民藝品を妙好品と呼ぶなど、物の美 に即して宗教の真理を説きつつ、1961年(昭和36)、72年の生涯を閉じた。「美とは何か」、「美はどこから生まれてくるか」を生涯問い続けてきた柳の人生は、まさに「美の行者」と呼ぶにふさわしいものであったように思われる。



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