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2015年1月 1日 (木)

山地拠点都市構想(その66)

山地拠点都市構想(その66)
第3章 知恵のある国家とは?
第2節 教育について
2、「勿体ない」の哲学
(2)モノ

有 職(ゆうそく)織物で人間国宝になっている喜多川俵二さんという人がおられる。1936年、京都西陣にある[俵屋]十七代・喜多川平朗(故・重要無形文化 財保持者)の次男として生まれ、1988年に[俵屋]十八代を継承された方である。私はひょんなご縁からその人から深刻な悩みを聞いたことがある。息子に今の家業を継がせようかどうしようかということであった。有職(ゆうそく)織物は,銀座にある高田装束 という店とそこにある高田装束研究所が有名だが,興味のある方はそこの店主兼研究所長の高田俊男の著作「服装の歴史」(1995年,中央公論社)を読んで いただければ、それがどういうものかが判る。白州正子も大変な関心をもっていたらしく、町田市にある白州正子記念館ではときどき有職(ゆうそく)織物に関 わる催しをやっている。
 喜多川俵二さんが言っていたが,有職織物にはいろいろな技法があるが,その中には自分しか織れない技法があるというのだ。喜多川俵二さんの悩みというの は,実は,それを子供に家を継がせて伝授するかどうか,迷っているという話だった。銀座の高田装束の話もしておられた。ああゆう商店は西陣にとって大変あ りがたい存在ではあるけれど,実際に作っているのは自分たちのような職人であるということだった。そりゃそうだろう。工芸品というのは,すべて手工芸品で 職人が作る。手作業で作る工芸品というのは,単なる商品ではない。物ではないということだ。中沢新一のいう「モノ」であって、心がこもっているのだ。中沢 新一は民芸品もそうだという。作った人の魂がこもっている「モノ」である。今,単なる商品の大量生産によって「モノ」が消えかかっている。これは私たち文 化に生きる日本人にとって由々しきことではないのか。

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