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2014年12月 1日 (月)

山地拠点都市構想(その48)

山地拠点都市構想(その48)
第3章 知恵のある国家とは?
第1節 「奥」の思想
1、辺境の哲学

 「両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)」という禅語を略して「両頭截断」と私はいっているのだが、その意味するところはきわめて奥が深い。摩多羅神を考える場合にも、エロス神を考える場合にも、少なくともこういう一元論的認識(絶対的認識)の重要性だけでも理解していないとダメだと思うので、ここで厳密を期しておきたい。
 この禅語は『槐安国語』(かいあんこくご)に出てくる。『槐安国語』は燈国師が書いた『大燈録』に、後年白隠が評唱を加えたものである。禅書も数多いが、その中でもっとも目につくものは、道元禅師の『正法眼蔵』と『槐安国語』といってよいと思ふ。両書はいずれも難解な本である。前者についてはすでに多数の学者がその研究の成績を発表している。しかし、『槐安国語』についてはほとんど研究らしい研究はない。そうだけれど、大燈国師が胸中の薀蓄(うんちく)を披瀝したところへ、白隠禅師の悟りを加えたたものであるから、この本は日本の禅の極限に達したものといってよいだろう。
この禅語については、 松原泰道がその著「禅語百選」(昭和四十七年十二月、詳伝社)で詳しく説明しているので、それをここに紹介しておく。すなわち、

『 両頭倶截断一剣器倚天寒(両頭ともに截断して一剣天によってすさまじ)
両頭というのは、相対的な認識方法をいいます。相対的認識が成り立つのには、少なくとも二つのものの対立と比較が必要です。つまり両頭です。たとえば、善を考えるときは、悪を対抗馬に立てないとはっきりしません。その差なり段落の感覚が認識となります。
 さらに、その差別を的確にするには、それに相対するものを立てなければなりません。之が三段論法推理の基本となります。その関係は、相対的というよりも、三対的で、きわめて複雑です。知識が進むにつれてますます複雑になります。その結果、とかく概念的となります。また、比較による知識ですから、二者択一の場合に迷いを生じます。インテリが判断に決断が下せないのもその例でしょう。なお、恐ろしいことは、比較というところに闘争心が芽ばえることです。この行きづまりを打開する認識方法と態度が、禅的思索です。まず相対的知識の欠点が相対的なところにある以上、この認識方法と態度とを捨てなければなりません。それを「空(くう)ずる」といいます。ときには「殺しつくせ」「死にきれ」と手きびしく申します。肉体を消すことではありません。相対的認識や観念を殺しつくし、なくして心を整地することです。
 相対的知識を殺しつくすのは絶対的知識です。しかし、相対に対する絶対なら、やはり相対関係にすぎません。たとえば、「私が花を見る」のは、私と花と相対して花の認識が生まれ、その花の色や色香(いろか)や美醜は、またそれに対するものが必要になります。どこまでも相対知です。
 次に、私は外の花を見ない、唯一絶対として私が花を見ると、一応は絶対値に立ったようですが、相対に対する絶対値で、やはり相対的関係が残っています。「私」が「花」を見るという我と花とが対しあっています。純粋絶対知とは、私が花を見るのではなく、花そのままを見ることです。私が花そのものになって見るより見方のないことを知るのです。
 これを一段論法といいます。その名付け親は、明治後期の理学博士で、禅の真髄をつかんだ近重真澄(ちかしげますみ)です。禅的さとりを得た人たちは、必ず従来とは、違った見え方がしてきたと喜びを語ります。それは「ある立場から、規定づけられた見方を脱した」ということでしょう。道歌(どうか。仏教などの趣旨をよんだ歌)の「月も月、花は昔の花ながら、見るものになりにけるかな」が、一段論法の認識方法と、その結果を歌っています。また、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)が、無情を感じて法然上人の下で出家して蓮生坊(れんしょうぼう)と呼びました。彼の歌と伝えられるものに「山は山、道も昔に変わらねど、変わりはてたるわが心かな」にも、それが感じられます。両頭的な相対的認識を、明剣にたとえた一段論法の刀で、バッサリと断ち切る必要を説くのがこの語です。相対的認識を解体した空の境地です。』・・・と。

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