« 山地拠点都市構想(その57) | トップページ | 山地拠点都市構想(その59) »

2014年12月12日 (金)

山地拠点都市構想(その58)

山地拠点都市構想(その58)
第3章 知恵のある国家とは?
第1節 「奥」の思想
5、「間」の思想

「間」は私たちの生きる場を根拠づけるものであるだけでなく、日本文化では、とくに芸 術・芸能の面で、また人と人との間など、生き方においても、決定的な意味をもちつづけてきた。芸術から建築まで、人や世間、神仏とのつき合いから死生観ま で、一貫する「間」の思想を見つめ直し、日本文化の本質を再確認しなければならない。

秘すれば花。秘すれば花なり秘せずは花なるべからず
これは世阿弥の書き残した『風姿花伝』の中の、よく知られた一節である。この花伝書で、世阿弥は芸上達のアドバイスと、興行を成功させるための方法論を具体的かつ詳細に書いている。一座の発展と、この芸を志す者に、世阿弥自身が獲得した奥義を伝えたいという、やむにやまれぬ心情から書かれたようだ。
奥の深いものは見せれない。「間」において、観客には奥深いものを感じて貰うしかない。その感じ方は、観客次第だが、その自由な感じ方が、面白いのだし、花のように素晴らしい。奥は「穴」の奥でもある。日本人は「穴」の奥に「ある」というもの、すなわち神を感じることができる。

「間」の観念というのは、どうやら縄文時代から続いてきて、世阿弥によって完成されたもののようだ。中沢新一は、内田樹との対談集「日本の文脈」(2012年1月、角川書店)の中で「能というものは中世よりもっと古代の死生観を形式化したもの」という趣旨のことを言っているが、私もまったく同感で、能というものは縄文時代の死生観を中世の人が芸能の型に形式化したものと考えている。ここで小林達雄の語る縄文人のすばらしい感性とわが国の舞踊の縄文性を紹介しておきたい。小林達雄は、その著書「縄文人の世界」(1996年7月、朝日新聞社)の中で、『 縄文人が人工的につくりだす音はいかにも低調であった。いわば縄文人は、自ら発する音を自然の音の中に控えめに忍び込ませはするが、あえて個性を強く主張したり際立たせようとはしなかった。わが国の舞踊は、楽器が自らの音の調べとリズムを主張するとき、人の身体、人の身振りや身のこなし方にも干渉し、注文をつける。わが国の舞踊においては、スリ足で舞い舞いして、なかなか大地からはね跳ぼうとしないのは、楽器の発達が縄文以来、控えめに終始してきたことに遠い由来があるのかもしれない。』・・・と述べている。能などの舞(まい)はすり足などで舞台を回ることを基礎とし、踊(おどり)はリズムに乗った手足の躍動を主とする。舞(まい)の本質は「間」にあるが、それは小林達雄が言うように、縄文時代から現在まで連綿と受け継がれているようだ。
では、土取利行の奏でる「縄文の音霊(おとだま)」を聴いてみよう!
http://www.youtube.com/watch?v=K5Zd0iAtEd4
言霊(ことだま)というのがある。言霊信仰においては、声に出した言葉は現実の事象に影響を与えると信じられ、発した言葉の良し悪しによって吉事や凶事が起こるとされた。そのため、神道での祝詞の奏上では絶対に誤読がないように注意された。結婚式などでの忌み言葉も言霊信仰に基づく。古くは、日本は言魂の力によって幸せがもたらされ国(言霊の幸はふ国)とされたが、最近は、そういうことをあまり言わなくなってしまった。土取利行(つちとりとしゆき)は音霊(おとだま)という言葉を使っているが、私は、今後、音霊とか言霊の重要性を認識していくべきだと思う。私は、「山地拠点都市」において、「山の霊魂」と響き合えるように、大いに音霊や言霊を発していかなければならないと思うのである。その際に、大事なことは、「間」の思想である。縄文人がそうであったように、自ら発する音を自然の音の中に控えめに忍び込ませはするが、あえて個性を強く主張したり際立たせようとしてはならないということだ。



« 山地拠点都市構想(その57) | トップページ | 山地拠点都市構想(その59) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/58246086

この記事へのトラックバック一覧です: 山地拠点都市構想(その58):

« 山地拠点都市構想(その57) | トップページ | 山地拠点都市構想(その59) »