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2014年12月 2日 (火)

山地拠点都市構想(その49)

山地拠点都市構想(その49)
第3章 知恵のある国家とは?
第1節 「奥」の思想
1、辺境の哲学

私は先ほど、『 田舎の論理と都市の論理は違う。私は、今までいろんな場で「両頭截断」と言ってきているが、「両義的論理」は、「両頭」、すなわち相異なる二元論的な論理を截断する。それが、私のいう「協和」である。』・・・と申し上げ、ただいまは「両頭截断」の説明をしたのだが、それも終わったので、この辺りで「協和」について説明をしておきたいと思う。

中沢新一は、先に紹介したように、「狩猟と編み籠」の中で、次のように言っている。すなわち、

『 人類の論理的に思考する能力は、<過剰性や放射性や増殖性をはらんだもの>を理解しようとするときには、必ずと言っていいほどに、「トリニティ=三位一体」的なモデルを利用しようとします。木 を木と言い、山を山と言い、水を水と言い、この世界のあらゆるものを記号的な意味情報として伝えようとするときには、二元論のモデルで十分です。じっさい 一切のものごとを情報化して記憶・計算・伝達するコンピューターは、0と
1との二元論ですべての情報処理をすませています。
ところが、木がただの木ではなくなって、なにか詩的な意味を含蓄するようになるときには、それではすまなくなります。「意味」の平面から過剰しあふれ出してくる「価値」の問題が、発生するからです。意味平面を垂直的に横断していく第三の力を考えにいれなければ、価値の問題は思考不可能です。そのために、詩学は、言語学と違って、増殖を本質とする価値なるものを理解に組み込むためには、三元論のモデルを採用することになります。』・・・・と。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/sekai02.html

私は、ここで、過剰性とは人間の欲望によって「資本」が増えつづけて過剰となる状態を意味していると理解し、放射性とは資本の過剰からさまざまな「平等」の 問題が発生してくる状態を意味していると理解している。そこで二元論的に、縦軸に「自由」と「不自由」をとり、横軸に「平等」と「不平等」をとれば、通常の 社会状態はその四つの象限上に表現できるのだ。かかる観点から、中沢新一はその平面を「意味平面」と名付けている。
しかし、中沢新一が言うように、「魂」の問題は扱えない。見田宗介が著書「社会学入門・・・人間と社会の未来」(2006年4月、岩波新書)で指摘しているように、政治哲学の上で、「魂の自由」は極めて重要な問題だ。「シーザーのものはシーザーに。」という訳だ。「魂の自由」を取り扱うためには、ネーション (民族)、私流に言えば「地域コミュニティ」ということになるのだが、それらに関わる「意味平面」に垂直な第三の軸を考えねばならない。すなわち、 ヘーゲルの社会に関する「トリニティ構造」において、ネーション(民族)や「地域コミュニティ」の問題は、「魂の自由」に関する軸を考えないと問題を解くことは難しい。「魂の自由」の問題は「グノーシス」でないと解けないのである。
私は、ここに、「意味平面」に垂直な第三の軸、つまり「魂の自由」に関する軸に「恊和」と「不協和」をとることを提案したい。「音楽」というか「リズム」に ちなみ、これを称して「恊和軸」という。「音楽」については中沢新一の「文化人類学」を頭に浮かべて欲しいし、「リズム」については中村雄二郎の「リズム 論」を頭に浮かべて欲しい。


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