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2014年11月21日 (金)

山地拠点都市構想(その41)

山地拠点都市構想(その41)
第2章 自然の再認識
第4節 「自然の原理」とは?

私は、「平和原理」を追い求めている。そしてまた、上述のように、桜井邦朋は「人間原理」が物理学の最新知見にもとづいて言われていることを述べている。

「人間原理」は「宇宙の意思」である。私は、ニーチェの「重力の魔」と「力への意思」について、私の電子書籍「さまよえるニーチェの亡霊」のなかで詳しく説明したが、「重力の魔」の働きかけにもめげずに、高見に向かって階段を一歩一歩登っていくには、「神」に「祈り」を捧げることが必要である。「神」に「祈り」を捧げるということは、「神に伺いを立てる」ということであり、「神」の「さよう、さよう」という声なき声を聞くことである。「宇宙の意思」とは、「神」、それは創造主とか唯一絶対神と呼んでも同じことだが、「神」というものは「正義」を好む。「悪魔」は不正義を好む。したがって、「神に伺いを立てる」ということは、正義に向かうことでもある。しょっちゅう「神」に「祈り」をささげている人は道を誤ることはない。「正義の魂」が宇宙に満ちれば、国家は平和になる。「宇宙の意思」とは、「正義の魂」が宇宙に満ちることであるし、国家が平和になることである。

すなわち、物理学の最新知見にもとづいても、「自然の原理」とは「神のみわざ」のことである、といっても良い。また、「哲学の自然」(中沢新一と国分功一郎の対談集、2013年3月、太田出版)の中でスピノザの研究の第一人者・国分功一郎によると、「スピノザは神とは自然そのものである」と考えたそうだが、そういうスピノザの考えから言っても、「自然の原理」とは「神のみわざ」のことである、と言っても良い。しかし、そういう定義では、「山地拠点都市」のあり方を考える場合に、具体的な政策と結びつきにくいので、この本「山の霊魂と奥の哲学」の文脈から言って、「自然の原理」とは「山の霊魂の働き」と定義しておきたい。ただし、これは狭義の定義であって、広義には、「自然の原理」とは自然界において人智を超えた摩訶不思議な働きをも含むので、山地拠点都市の都市環境整備に当たっては、常に異常な災害のことを考えねばならない、ということを申し添えておかなければならない。いずれにしろ、「山地拠点都市構想」においては、「自然との共生」が大きな課題である。


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