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2014年11月12日 (水)

山地拠点都市構想(その34)

山地拠点都市構想(その34)
第2章 自然の再認識
第3節 田舎と都市

 「さまよえるニーチェの亡霊」(平成24年6月、新公論社、電子出版)でも述べたが、ニーチェの「力への意志」やハイデガーの「投企」やホワイトヘッドの「抱握」の哲学は極めて重要である。神から私たち人間に「力の意志」、「投企」、「抱握」という働きが及んでいるのである。それを受け止めるのは、人間それぞれの「体験」にもとづくそれぞれの「心」である。したがって、神の思い(真理)を受け止める場合、その受け止め方というのは千差万別である。悟りを開いた名僧なら、かなり神が示す真理を正しく受け止めることができるかもしれないが、通常、私たちは神が示す真理をきわめて単純化した形でしか受け止めることはできない。だから、いわゆる文化というものは表面的で、実は、その奥に隠されている真理に想い馳せなければならないのである。そういう点には十分留意する必要はあるが、ざっくり言って、文化というものは神が示す真理を含んでいる。それをどこまで真理に近づいて感受するかは、その人の直感力による。野生の精神に欠ける人は絶対に直観はできない。直感力は、「重力の魔」の働きにもめげず、苦しい修行を積んで、野生の精神を身につけ、道の奥義を究めた人でないとなかなか得られるものではない。

 しかし、それほど難しく考える必要もないだろう。私たちは私たちなりに、文化の奥に潜む真理をある程度は感じることはできる。その感じを大事にすればそれで十分。あとは「力の意志」にしたがって、自分の階段を一歩一歩高みに向かって登っていけば良いのである。そのうちに直感力は身に付くだろう。以上は「内なる神」の「受け止め」である。
 この「内なる神」の「受け止め」は、宇宙の「外なる神」に働きかけ、波動の共鳴現象が起こるのである。そういう文明というものが、私たちを通じて宇宙の「外なる神」に作用して、宇宙そのものが文明化される。それがホワイトヘッドのいう「文明化された宇宙」である。このことをざっくり言ってしまえば、私たちの文明活動が、神を変える、宇宙を変えるということだ。人間は神あっての人間だし、神は人間あっての神である。そのことについては、「祈りの科学シリーズ(5)」(2002年5月、新公論社、電子出版)に書いた(特に、第10章)。
 都市におけるすべての文化活動は、人間の歴史を意味するだけでなく、宇宙的な活動である。


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