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2014年11月19日 (水)

山地拠点都市構想(その39)

山地拠点都市構想(その39)
第2章 自然の再認識
第4節 「自然の原理」とは?

(1)「自然の原理」と「山の霊魂」
第2節「自然の神と技術の神との同盟」で述べたように、「エロス」は生存の原理でもあるが、消滅と死の原理でもある。何ものもエロスなしに存在しないし、またこの神を通じて、万物は存在することをやめる。かれはまさに、生と死の原理であるシヴァの本性を顕わしている。「エロス」については、私の電子書籍「エロスを語ろう・・・プラトンを超えて!」に詳しく書いたので、是非、それを読んで欲しい。
さあそこで、中沢新一と国分功一郎との対談集「哲学の自然」(2013年3月、太田出版)が最近出たので、それとの関連で「自然の原理」とは何か、それをはっきりさしておかねばなるまい。この本は、哲学の世界で、歴史的に、自然というものがどのように考えられてきたかを縦断的横断的に論じたもので、随分、自然哲学の勉強になる。しかし、「自然の原理」とは何か、その定義が必ずしも判りやすく語られている訳ではない。そこで、私は、この際、「自然の原理」とは何か、その定義を行っておきたい。「自然の原理」とは「生成と消滅の原理」である。狭義には「生と死の原理」。生命の原理。「いのちの原理」と呼んでも良い。広義には、自然現象が生起する、その原理である。

中沢新一は、「哲学の自然」(2013年3月、太田出版)の中で、「ニソの杜」で働いている原理は原発を進める原理と対置する論理であって、「ニソの杜」で働いている原理は「生と死の循環」だと言っている。「生と死の原理」は、「生命の原理」であって、「生命」というものは、「魂」を通じて「生成と消滅」を繰り返していくのですね。その根源は「エネルゲイア」だというのがホワイトヘッドの哲学だが、「生成と消滅」、それは、すべての存在の根源的なものである。それが「自然の原理」なのである。「神のみわざ」と考えて良い。
なお、中沢新一は、「グリーンアクティブ」という運動を「自然哲学」の可能性を示すひとつの活動存在だと言っているが、私もそう思う。だから、これから、自然志向はますます強まっていくし、山は「心の故郷」になっていく。これはハイデガーの憧れであった。



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