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2014年11月17日 (月)

山地拠点都市構想(その37)

山地拠点都市構想(その37)
第2章 自然の再認識
第3節 田舎と都市

(4)都市に自然を!

 かって、梅原猛は「巨木の町づくり」ということを言ったことがあるが、私の場合は、「水と緑の町づくり」ということをいろいろと言ってきた。まず、梅原猛は、その著書「森の思想が人類を救う」(1995年4月、小学館)の中で次のように言っている。すなわち、
『 浄土教の教え、すなわち<山川草木悉皆成仏>の考え方は典型的な<森の思想>である。』
『 縄文時代から連綿と続いているところの「日本の宗教」というものは<森の宗教>である。』
『 この<森の宗教>の思想について、私は長い間いろいろと考えてきたのですが、結局、森の宗教の思想 は、生きとし生きるものはすべて共通の生命で生きている。そして生きとし生きるものはすべて成仏することができるという考え方だと、最近思うようになりま した。動物の命も、山や川すら成仏できる。そして成仏するばかりでなく、生きとし生きるものはすべて生死の間を循環している。』
『 植物や動物の命を尊敬して天地自然を尊敬する。そしてその天地自然や動物と調和して生きていく、共生する方法をわれわれは考えなければならないのです。』
『 人間は動物や植物を殺さなければ生きていけない面があります。動物の命を奪うにせよ、われわれと同 じ命をもった木を、そして動物を殺す訳ですから、その木や動物の霊を手厚くあの世に送らなければならいのです。霊をあの世に返さなければならないのです。 そしてまた木や動物たちにこの世に帰って来てもらわなければならない。私は、こういう宗教を今こそとりもどさなければならないと考えるのです。』
『 人間が生きていくということはどういうことなのか、それは植物も動物もみな同じ命であって、すべて のものはあの世とこの世を循環しつつ、永遠に共生しているのだということを認識しなければならないと思います。そういう思想が人類に浸透したときに、人類は生き残る可能性がでてくるのだと思います。巨木の問題 は文明の根底に関する問題であり、そして巨木を中心とする街づくりは、21世紀を正視する街づくりでなければならないと私は思います。』・・・と。

 巨木の問題 は文明の根底に関する問題であり、そして巨木を中心とする街づくりは、
21世紀を正視する街づくりでなければならないと梅原猛は言っているのだが、私はそこまで深い思想ではなく、私のただ単なる感性として、「水と緑の町づくり」ということをいろんな機会に言ってきた。この機会に、それをひとつ紹介しておきたい。

『 ほとんどの都市河川は、従来、都市化の急激な進展に対応して、洪水対策を急がなければならなかったので、高い直立護岸もしくはそれに近いものが多い。水面は、河岸から随分下にある ため、景観も悪いし、ボート遊びなどもできない。護岸は、お化粧程度の改善はできるかもしれないが、抜本的な改善は困難であろう。
 しかし、水面については、堰を設ければ、豊かな水面を創出することはさほど難しい事ではない。従来、そういった堰は、洪水対策上ないほうがいいので、 河川管理者は許可しなかった。今もその方針が変わっている訳ではないが、私は、今の技術水準からして許可はできると思うし、場合によれば、河川管理者がそ れを設置することも可能であろ
う。 河岸は、道路になっている所が多く、緑道にはなりにくいかもしれないが、河川管理用の通路として確保されている所もあ るので、そういった所は、工夫をすれば十分緑道になり得ると思う。 憩いの広場は、公園橋として整備できると思うが、河川に隣接した土地があれば、ポケットパークを逐次作って行けばいいであろう。河川は、線として、町の 景観上かけがいのないものであるので、場所はよほど考えなければならないが、橋上レストランというものも考えられるかもしれない。』

『 近年は、ビオトープという ことが都市計画上も重要な課題になって来ているが、ビオトープで大切なことは、水と緑のネットワーク化ではなかろうか。都市計画に確かに「緑のマスタープ ラン」というのがある。しかし、水と緑を一緒に考えた「水と緑のマスタープラン」というものはない。何故か。 都市河川は、確かに、公園サイドから見て魅力のない状態になっている。しかし、今述べたような、水と緑のプロムナードとか治水緑地とか、河川サイドと公園サイドが共同して取り組めば、都市河川も魅力のあるものになってゆくはずである。いや、絶対にそうしなければならない。そうでないと、我が国が国際的に 尊敬されるなんて事には到底ならないと思う。我が国は、我が国の伝統的な自然観、それは、私に言わせれば、先に言った「自然が人工を完成し、人工が自然を 完成する」という自然観であるが、そういう自然観に基づき、美しい国、美しい町を作っていかなければならない。相当の予算がかかっても。かかる観点から、河川サイドと公園サイドが協力して、「水と緑のマスタープラン」 を策定しなければならない。』

『 現在は、今までの急激な都 市化の進展により、自然環境という観点からは問題も少なくないが、それでも都市における残された貴重な自然空間である。したがって、これを大切にしなけれ ばならない。これを大切にし、現状の改善すべき所は改善し少しでも理想的な姿にもって行く、そのような努力が必要であろう。 河川を都市における貴重な自然空間と見たとき、最も大きな問題は、河川と背後地との関係が多くの場合切れているということである。これを何とか改善しな ければならない。 河川は、洪水の流れる所でもあるので、自ずと河川管理上の制約があって、緑、とりわけ高木が少ない。自然生態系を考えたとき、理想を言 えば、これは大きな問題であって、何とかしなければならない問題ではなかろうか。 河川を水と緑の回廊と考えるのであれば、所々において、どうしても河川と一体になった林あるいは森が必要である。勿論、河川サイドでは、目下のところ、 何ともならない問題である。しかし、これからの問題として、今後、公園サイドにお願いするか、自然公園ということで環境庁にお願いするか、あるいは総合的な河川環境整備制度を創設して河川サイドで実施するか、方法はともかく、21世紀を視野にいれた新たな取り組みを急ぎ模索しなければならないと思う。 当面の問題としては、河川に隣接する背後地の公園で、河川あるいは河川公園と一体的な形になっていないものがある。至急これの改善が必要であろう。』・・・と。


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