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2014年11月 3日 (月)

山地拠点都市構想(その29)

山地拠点都市構想(その29)
第2章 自然の再認識
第2節 自然の神と技術の神との同盟

 シヴァ教はディオニュソス教と同じようにエロスの宗教ではあるが、実は、シヴァ教は自然の宗教でもある。ここのところがきわめて大事なところだ。ここでは自然に焦点を当ててシヴァ教の説明をしておきたい。「シヴァとディオニュソス・・・自然とエロスの宗教」(著者・アラン・ダニエル、訳者・浅野卓也と小野智司、2008年5月、講談社)では、次のように言っている。すなわち、

『 シヴァ教は本質的に自然教である。(中略)この神は、われわれ人類に、聖なる法を再び見いだすよう教え、人間の法を捨て去るよう諭すのである。』
『 シヴァ信仰の哲学的な全容は、まだほとんど解明されていない。』
『 現代のエコロジーは、真性の倫理への回帰を目指す試みのように見えるが、いまだ人間中心主義的な発想を超えるものではない。』
『 シヴァは宇宙の支配者である。その多様な姿は、宇宙の方角を支配する神々に結びつき、それぞれの神には、生命に対する直接的な影響力と重要なシンボリズムが付与されている。』
『 この世界に生まれたものは、いつかは必ず死ぬ。したがって生の原理は時間に結びつき、最終的には死の原理に結びつけられる。創造の神は、同時に破壊の神である。生は死を育む。いかなる生命体もほかの生物の命を破壊しむさぼり食うことなしに、生き延びることはできない。それゆえシヴァは恐ろしい相貌(そうぼう)をもっている。』
『 宇宙において神々、精霊、人間のなかに顕現する原理は、動物界、植物界、鉱物界にも同じようにあらわれる。』
『 聖なる場所とはある種の扉で、そこを通過すれば、ひとつの世界からもうひとつの別の世界へ移行することもそれほど難しいことではない。この通路を通じて、幻視者は突如として他界へと目が開かれ、また他界へといたることが可能となる。特別な能力がないものでも、ひとたびそのような聖地に立てば自分が超自然的と呼ばれる何か、すなわち神々や聖霊たちの住まう神秘な世界に近づきつつあることを実感できるだろう。(中略)そうしたところに行くと、時間の制約を超えた異次元の宇宙に至るような、ただならぬ空気を感じずにはいられない。こうした場所で秘跡をさずかり。或いは死を迎えることは、とても意義のあることだとされる。そこは、「天界」に通じる門なのである。』
『 エロスは生存の原理でもあるが、消滅と死の原理でもある。何ものもエロスなしに存在しないし、またこの神を通じて、万物は存在することをやめる。かれはまさに、生と死の原理であるシヴァの本性を顕わしている。』
『 シヴァ教は、個人という存在を、ジャイナ教のように重視せず、人間の生を一時的で、かつ、集合的なものとしてしか信じない。人間の個々の生は、あらゆる存在の生と等しく、宇宙的な事物と意識と知性から選択され、宇宙的にして不可分の魂のかけらを取り巻く多様な元素が相互に結びつけられる結び目、結節点から形成される。これは、壷のなかの閉ざされた空間にたとえられるもので、そこには宇宙的な空間と変わるところはない。』

『 天界と神々は、宇宙が終息し事物と時空が無に帰するとき、存在することをやめるだろう』
『 われわれがみずからの存在の永遠性に目覚めるのは、この現在の生が持続するあいだでなければならない。進化を忘れた終わりのなき魂の不滅という倦怠を夢想しなければならない理由など、どこにもないのである。』
『 人間間科学、自然科学的心理学やエコロジーの最近の発見は、シヴァ教がつねに推奨してきたものと同じ普遍的・人間間問題へのアプローチを提示するものと考えることができる。われわれの時代が、キリスト教の勝利によって一度は絶滅し、「散逸した宗教体験」を再発見した先駆けとして後世に知られるということも、ありえないことではない。・・・こうしたすべての要素(無意識、神話、シンボルへの関心、プリミティブなもの、アルカイックなものへの熱望といった宗教感情のあらわれ)は、かってあったものの二番煎じではない新たなヒューマニズムの発展を告げるもののようにも感じられる。なぜなら、人類の全体知に達するために今統合されなければならないのは、何よりも東洋学者、民族学者、深層心理学者、宗教史家による諸々の探求だからである。(M・エリアーデ「悪魔と両性具有」)(中略)シヴァ信仰の知恵への回帰は、加速度的に破滅へと向かう人類の歩みに歯止めをかける唯一の道筋となろう。ルネ・ゲノンによれば、「「手短かに言えば、モダンにおける本来のあり方からの逸脱以前に存在した教えを、この時代条件にふさわしいかたちで再構築すること、これがたったひとつの課題となろう。東洋は、もしそうなることを望めば西洋の救済者として現れる可能性は高い。それは、ある種の人びとが恐れるように見慣れない奇妙な概念を強引に持ち込むことではなく、西洋がすでにその意味を見失ってしまった伝統を西洋みずからが再発見する手助けとなるものである。」(「世界の終末 現代の危機」)』・・・と。


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