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2014年11月22日 (土)

山地拠点都市構想(その42)

山地拠点都市構想(その42)
第2章 自然の再認識
第4節 「自然の原理」とは?

(2)共生社会(協和社会)を夢見て!

社会構造の問題は、世界構造の問題も含め て、三元論、すなわち「トリニティ論」でないと解けない。心の問題、魂の問題が絡むからだ。物質的な世界を意味する「意味平面」に垂直な「魂の自由」を表 現する「第三の軸」を考えねばならない。私は、「リズム人類学」の立場から、音楽でいう「協和」と「不協和」という言い方を提案している。「ハーモニー」とか「響き合い」をイメージでき るからだ。魂の響き合い・・・。
資本=ネーション=国家という「トリニ ティ構造」において、心の問題、魂の問題に関係するのは、ネーション(民族)であり、これが「第三の軸」に相当する。「自由」、「平等」、「共生」という 「トリニティ構造」においては、「共生」が「第三の軸」に相当する。ここでは「協和」という新たな言葉を提案している。「共生」の内、「コミュニケーショ ン」なり「触れ合い」から一歩進んで・・・何かを一緒にやる場合の・・・「連携」つまり「ネットワーク」が「協和」である。
生物学的な意味での狭義の「共生」、それ と「コミュニケーション(触れ合い)」と「ネットワーク(連携)」は、哲学的には同じことである。「共生」は傷つけ合うこともある得る状態。「コミュニ ケーション(触れ合い)」は意見が一致しなくていいからともかく相手の立場になって話を聞く状態。意見は一致しなくていい。「ネットワーク(連携)」は一 部で良いから意見が一致して一緒に何かをやる状態。それぞれニュアンスの違いはあるが、哲学的には一緒で、これから21世紀は「共生社会」を目指そうと 言っても良いし、「コミュニケーション社会」を目指そうと言っても良いし、「ネットワーク社会」を目指そうと言っても良い。まあ、同じことだ。ここでは、 「コミュニケーション(触れ合い)」と「ネットワーク(連携)」を含み、単に「共生」と呼ぶ。
だから、一言で「共生」といってもさまざ まは形態があるのである。「地域コミュニティ」はさまざまな人が「矛盾だらけの人生」というか「矛盾社会」を生きており、「共生」の実体験はさまざまだ。 お互い傷つけ合いことはしょっちゅうだし、話し合ってもなかなか相手が同調してくれないので苦労するなんてことも日常茶飯事に起きる。もちろん、意見が一 致して一緒に何かをやるということもある。「地域コミュニティ」は社会の縮図である。社会の最小単位「スモールワールド」である。したがって、ネーション (民族)と「共生」と「地域コミュニティ」は、「心」に関係する「第三の軸」に相当するのである。かかる観点に立って、私は、資本と国家と「地域コミュニ ティ」という「トリニティ構造」を念頭においている。現在、日本では、あまりにも資本と国家が強すぎて、「地域コミュニティ」がほとんど消えかかってい る。私は、ここにさまざま社会問題が発生する根本原因があると考えている。



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