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2014年10月30日 (木)

山地拠点都市構想(その25)

山地拠点都市構想(その25)
第1章 日本の政治

第7節 政治家よ!「関係子」たれ!

 東大名誉教授に清水博という生命学の大先生がおられ、『場の思想』(2003年・東京大学出版会)という本を出された。清水先生は1932年生れで、私より6つ歳上である。 東京大学の薬学部を出られた薬学博士であるから、薬の先生かと思っていたらとんでもない。大学院時代は化学物理学を学ばれ、ハーバード大学やスタンフォード大学でも研究生活をされた生命学の大家である。
 生命に関する学問をバイオホロニスというが、先生の研究は、生命というものを分子のレベルから解明しようとするもので、世界最先端の研究である。
 先生は、九州大学理学部教授をされた後、東京大学薬学部の教授を務められ、定年後は金沢工業大学で「場の研究所」なるものを始められた。この生命学の権威である清水先生が、哲学を学ぶものの必読の書といえるような前記の本を出されたのである。

 清水の著『生命を捉えなおす』(中公新書)の初版は1978年だが、その後研究が進み、増補版が出たのが1990年である。とくに注目すべきは「関係子」という考え方であろう。中村雄二郎は「メディオン」と呼んだらどうかとアドバイスしたようだが、中村のリズム論とも関係が深く、関係子が発生するリズムの「相互引き込み現象」は清水博の画期的な発見である。関係子に関する研究はこれからどんどん進み、生命の神秘がもっと明らかにされるであろう。関係子の着想は実に素晴らしいのだが、近著『場の思想』に、その話が出てこないのは誠に残念である。
 清水博のイメージする「関係子」の概念について、要点を説明しておきたい。
 私は今まで、生命学という言葉を使ってきたが、清水博は、生命学とは言わないで、「生命関係学」と呼んでいる。関係性というものの重要性を充分認識したうえでのことである。生命システムには、多様な複雑性とそこに自己組織される秩序があるというのが清水博の考え方であるが、この秩序は一義的なものではなく多義性に富んだものである。

 では、秩序の多義性というものはどこからくるのか? 清水は、生命の働きを生成的、関係的にとらえない限り、この問題は解けないと考えている。関係性の重視である。その粒子がたくさん集まったとき、その状態によってグループとしてのさまざまな機能が出現してくるのだそうだ。もちろん粒子ごとに特定の機能というものはあるのだが、グループとしての機能はそれら個々の機能の合計ではなくて、全く別の新たな機能が出現してくる。それはなぜか? 多くの粒子がどのような状態になっているか、それら粒子と粒子の間の関係性により、いろいろな機能が出現する。よって関係性というものが重要となり、それに着目して研究を進める必要がある……というのが清水の考えである。
 劇場で役者が即興劇を演じる。観客がそれを見ている。そこには照明装置や音響装置など劇場としてのシステムがある。即興劇を演じる役者は、あらかじめ劇場主、シナリオ作家、演出家から必要な情報を与えられているが、いったん幕が上がると、あとはもう観客と一体になってその場の雰囲気で臨機応変に演じる。それが即興劇であるが、清水は『生命を捉えなおす』のなかでこう言っている。 「役者の演技は、大まかな筋という拘束条件のもとで、大ざっぱに決められますが、具体的には役者同士の演技の相互関係によって、選択されたり、つくられたりしながら劇を進行させていくのです。その演技は、全体として一つの筋を生成的に自己組織しながら展開していく必要があり、場違いな演技をすることはできません。」
 そこには環境とシステムは出てくるが、活動主体が記述されていない。そこでは操作情報という言葉が使われており、情報を自己組織する活動主体というものを念頭に置いて、清水はそれを関係子と呼んでいる。すなわち関係子とは、システムや環境から発せられるさまざまな情報を受け取って、臨機応変に自らの活動に役立つ操作情報を自己生産するものである。つまり自己組織するとは、自己生産しながら自分の組織に組み込んでいくということである。要するに、関係子というのは、意味のある操作情報を自己組織するのである。

 関係子(メディオン。名付け親は中村雄二郎。)は舞台の役者、意味ある操作情報は観客。政治で言えば、関係子は政治家、意味ある情報は大衆である。政治家にとって意味ある情報を大衆が発している。それを捉えて政治家は自己組織化するのである。ちょっと判りにくいですかね。ざっくり言ってしまえば、政治家と大衆とが互いに響き合う、それはとりもなおさず清水博のいう「生命原理」なのである。ポピュリズムというのはそういう「生命原理」に合っている。ポピュリズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆を相手に「即興劇」を演ずれば良いのである。ポピュリズム(大衆主義)における政治家というのは、大衆を相手に一生懸命「即興劇」を演じて、もし大衆から、大根役者と罵倒が浴びせられたら、舞台から引っ込めば良い。そういう覚悟を以て、政治家という役者は、大衆と響き合えるよう、一生懸命政治をやればいいのである。それがポピュリズムというものだ。

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