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2014年10月 8日 (水)

山地拠点都市構想(その10)

山地拠点都市構想(その10)
前編の序文

野本寛一がいうように、 私たちは、自然のなかに神を見、その自然と謙虚に対座し、自然の恵みに感謝するという日本人本来の自然観を取り戻さなければならない。「故郷」を取り戻さなければならないのである。そうでないと、ハイデガーのいう「故郷喪失」によって何かの拍子でニヒリズムの罠に陥りかねない。私たちは、「故郷」を取り戻して、「自然と神の贈与」に感謝しながら価値ある人生を生きなければならない。

「自然と神の贈与」、その典型的なものが「農」である。したがって、「農」は国の基本であり、地域の基本である。「農」を基本とした地域の自立的発展を図らない限り、地域コミュニティは崩壊をつづけ、やがて日本は崩壊するに違いない。これからは心の時代である。家族農業も大事にし、「協和」を旗印に、輝かしい地域コミュニティと日本を創っていかなければならない。そのためには、田舎を生きる人のために、人びとが食っていける仕事がなければならぬ。その基本は農業だ。百姓の思考は「野生の思考」と言っても良いのではないか。 百姓の心は野生の心。 百姓の精神は「野生の精神」。こう考えると、百姓の行う「農」というものは、単に国民の食料を作るというだけでなく、国の精神を作り出しているのではないかと思えてくる。
これからの理想とする地域づくりは、もちろん西田哲学や田辺哲学を十分理解しながらも、私は、中沢新一の「モノとの同盟」という考え方が大事であり、心を大事にしなければならないと思う。私は宇宙と響きあいと言っているのだが、感性を大事にしなければならない。都市の人々においては、田舎の自然に触れるだけでなく田舎の人々との触れ合いによって素晴らしい感性が身に付く、そうことが多いのではないか。

「モノ的技術」は「モノ的思考」にもとづく技術であり「ピュシス的技術」とは異質のものであるが、中沢新一は、「「モノ的技術」は現代文明とは異質の世界を作り出す力を秘めている」と言っている。現代文明は、市場経済によって「心」の面で行き詰まっており、田舎の地域づくりにおいても「心」を重視しなければ今後の展望がまったく開けないところまできている。田舎こそ「モノ的技術による地域づくり」を進めなければならないのである。
では、具体的にどうすれば良いか? そこが問題だが、結論を先に言えば、中沢新一が言っているように、「モノ的技術」はけっして市場経済一点張りでは発達しない。「信」を前提に成り立つ贈与経済によってしか発展しないのである。そして、その贈与経済を支える産業が「農」なのである。農業と地域通貨については、贈与の視点に立ってその重要性を考えなければならないということだ。このことを強調しても強調しすぎることはない。
しかし、「農」というものはそれだけにとどまるものではない。先述したように、私は、 百姓の思考は「野生の思考」と言っても良い。 百姓の心は「野生の心」。 百姓の精神は「野生の精神」。今私は「野生の心」のより強靭なものを「野生の精神」と呼んでいる。百姓はおおむね「野生の心」を持っているし、村の祭りによって「外なる神」の力が働いて、地域には「野生の精神」も生まれでてきていると思う。こう考えると、百姓の行う「農」というものは、単に国民の食料を作るというだけでなく、国の精神を作り出しているのではないか。

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